カワセミ春夏秋冬(16)

 新型コロナウィルス感染症も収束の方向にあるようです。今年は3年ぶりの制限のないお正月となりました。

 3日には、娘、息子夫婦と孫たちが、我が家に集まり賑やかなお正月となりました。ちょっと食べ過ぎて体重が増えたようです。

 4日が初散歩でした。1月とは思えない暖かさ、いつもの黒須田川の遊歩道を歩きながら、川面を見ると、川の中の石の上がキラリと光りました。

 日陰となっているので、よく分かりませんでしたが・・

 カワセミでした。今年、初めての出会いです。

 大きな獲物を誇らしげに掲げているように見えます。

 「オイカワ」のようです。

 このくらい大きいと飲み込むのに時間がかかりそうですが、空腹だったのでしょうか、思ったより早く食べてしまいました。

 食べた後、近くの石に飛び移ったのですが、お腹が重いのか、腹の魚が暴れるのか、飛ぶ様子もありません。嘴に鱗を付けたまま、じっとしていました。

 春の日や水さえあれば暮残り
         一茶『文化句帖』
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甲辰元旦

 

 あけまして

  おめでとうございます

 

  元旦や上々吉の浅黄空

        小林一茶『浅黄空』

 武州琴平神社、今年も多くの初詣の家族で賑わっていました。

 初詣の帰りに、早野聖地公園を訪ねました。

 この公園には、七つの池があります。この七つの池は、早野の湧水を溜め、田畑に利用する為に山間に作られました。その池の一つに「龍」の名が付いた「龍ケ谷池」があります。

 曲がった高木に囲まれ、そこから漏れる光が幻想的で、龍が現われそうな神秘的な景色です。

 散歩の途中で、この池に立ち寄りますが、カワセミに出会うのは珍しいです。この池で見るカワセミは、いつもの黒須田川で見ているカワセミとは思えない美しさを感じます。

 この池の周りの木々は、サギたちのコロニーともなっていたり、いろいろな鳥が集まって来ます。この日は「エナガ」が・・

 「メジロ」も・・

 「シジュウカラ」も・・

 「コゲラ」も・・

 有合の鳥も初声上にけり

       一茶『八番日記』

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年忘れ

 朝方まで降っていた雨が止み、お昼前に太陽が顔を出し、暖かく穏やかな大晦日になりました。

 今年は、いろいろなところで争い、戦争、自然災害が発生、そして痛ましい事件など落ち着かない年でした。来年は穏やかな年であって欲しいと思います。

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 新しい年を迎える準備の終えた武州琴平神社に「幸先詣」に行って来ました。

 昨夜の雨で駐車場には水溜まりが出来ていました。

 本殿では、新しい茅の輪が作られていました。

 まだ萱の匂いがする青い茅の輪をくぐり、お祓いをしました。

 境内の白梅は堅い蕾。家族で訪れる人は、まばらで静寂な雰囲気でした。

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 いくつやら覚えぬ上にとし忘

          一茶『八番日記』

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カワセミ春夏秋冬(15)

 正岡子規は『病状六尺』岩波文庫の中で「翡翠」について10首ほど詠んでいます。

「柳に翡翠といふのを題に戯れに俳句十首を作って見た」「一時の戯れに過ぎないやうであるが、実際にやって見ると句法の研究などには最も善き手段であるといふ事が分かった」と書いています。その10首とは

 翡翠の魚を覗ふかな

 翡翠をかくすの茂りかな

 翡翠の来るを愛すかな

 翡翠や池をめぐりて皆

 翡翠の来ぬ日の嵐かな

 翡翠も鷺も来て居るかな

 柳伐って翡翠終に来ずなりぬ

 翡翠の足場を選ぶかな

 翡翠の去っての夕日かな

 翡翠の飛んでしまひしかな

 病床の子規に、お見舞いの客が持って来たのであろう「柳と翡翠の図」を見て詠んだのでしょうか。俳句に「写生」を提唱した子規、詠まれた一つ一つの情景が、私が散歩で眺める実景に、よく似ているのに驚きました。

 また「柳と翡翠」の取り合わせについては、今は見ることがほとんどない景色ですが、明治時代には、見ることが出来た景色かも知れません。8月に黒須田川で、垂れた木の枝に止まっている、こんなカワセミを見ました。

 子規が27歳の時にも「川蝉や柳静かに池深し」(子規句集・岩波文庫という句を詠んでいます。『仰臥漫録』岩波文庫 にも『病状六尺』と重複した句がありますが「柳」とは関係のない翡翠を詠んだ句もあります。

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 黒須田川に生息するカワセミを撮り始めて4年が経ちます。ほとんどが散歩の途中に偶然出逢ったカワセミです。都会の中の小さな川に住むカワセミを、度々紹介して来ましたが、この1年間の「カワセミのいる景色」をまとめました。

【1月】

 初詣の帰りに出逢ったカワセミ。おせちは食べ終わっただろうに・・もう次の料理を狙っているらしい。

【2月】

 2月10日、朝から降りだした雪。積雪は少なかったのですが、食べ物はお預けかな。

【3月】

 桜の花と一緒に撮れる唯一の場所は「にしき橋」。天敵からの隠れるために、この場所によく逃げ込みます。

 この橋の付近は、水浴びの場所でもあります。

【4月】

 暖かくなり川岸に自生した菜の花、その下にいる小魚を狙っているようです。

【5月】

 黒須田川は、水量が少なく流れが緩やかです。川面に写る新緑が大変美しい。

【6月】

 草木の緑に覆われた黒須田川。夏が近づくと川の中の小魚の動きも活発になります。時々飛び跳ねて銀色に光ります。

 毛繕いなのかな?珍しいポーズです。カワセミの首は、柔軟な筋肉をしているようです。

【7月】

 飛んで来て急に止まる休憩の石!? でもすぐに飛び去るので撮影チャンスを逃がすと、度々見られる景色ではありません

【8月】

 30cmほど浅瀬の獲物を狙ってホバリング。飛び込む音も堰の水音に消されてしまいます。その様子を上から眺められるのは、黒須田川の特徴です。

【9月】

 都会を流れる川で見られるカワセミのファンタジックな世界です。

 宝石のように輝いています。木漏れ日の悪戯です。

【10月】

 夕陽を眺めるカワセミのつがい。何を見つめているのだろう。私は「カー君(雄)」「ミーちゃん(雌)」と名づけました。

【11月】

 秋から冬にかけて太陽の角度が低くなります。カワセミには、水中の中の動きが良く見えます。

【12月】

 冬らしい寒々とした黒須田川ですが、穏やかな師走です。

 いつもは反対側の日陰の草の茎に止まっているカワセミ。この日は、枯れた葦の先端に止まっています。この位置からの方が狙い易いのかな。それとも日向ぼっこかな。

 黒須田川は「オイカワ」が多く棲息していて、カワセミの最良の好物となっています。

 今回、登場した2kmほどの黒須田川をテリトリーにしているカワセミのつがいを紹介します。「さつき橋」付近から下流をテリトリーにしているのが「ミーちゃん(雌)

 「さつき橋」付近から上流をテリトリーにしているのが「カー君(雄)」です。

 今年は、こんな景色をよく見掛けました。

 来年もこの景色が続いて欲しいと思います。 

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「リリ」と「ガン」

 我が家に6月、二人目の孫が誕生しました。卯年にあやかったのか、蹴る足の動きが活発で、将来はスポーツ選手か?と・・「ジジ馬鹿ちゃんりん」になっています。

 あと10日余りで「卯年」は終わります。本箱をいろいろと整理していたら「うさぎの絵本」が、いつの間にか増えていました。

 私の子供の頃は、ウサギが出て来るお話しは「うさぎとかめ」や「かちかちやま」でした。最近の本を読んでいたら「うさぎとかめ」が、もう一度競争したそうですが・・またウサギが負けたそうです。今度は、山の頂上から降りる競争でした。ウサギの後ろ脚は前足に比べると大きく、強いので山を登るのは得意ですが、下り坂では勢い余って転んでしまいます。そして切り株にぶつかり怪我をしたのです。ウサギの脚の構造を知れば、当然の結果です。

 また星新一ショートショート『未来いそっぷ』新潮文庫の「ウサギとカメ」では、ウサギはカメの策略で、スピード違反で捕まります。時代とともに童話の世界も変わっていくのでしょうか。

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 ウサギが登場する童話では、宮沢賢治の短編童話貝の火が、特に印象に残っています。この絵本は、おくはらゆめさんの絵で、mikihouseから2017年10月に発刊されています。

 貝の火とは「蛋白石」のことで、ひとたび得た名声や権威の脆さを、この石になぞられた童話です。大人の童話でもあるように思います。

 この「貝の火」に登場するのは「ノウサギ」の家族です。「今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です」という言葉から始まりますが、このウサギは「トウホクノウサギ」だろうと思います。なぜなら東北地方など積雪地帯に生息する「トウホクノウサギ」は、秋頃から白化が始まり、春頃から茶褐色の毛色になるからです。

 この「トウホクノウサギ」について、詳細に観察した日記ノウサギ日記』高橋喜平著・福音館書店・1983年6月刊  という本があります。

 高橋喜平(1910-2006)は、雪氷研究家でエッセイストです。当時、農林省林業試験地に勤務、昭和19年新潟県十日町試験場に赴任。ノウサギが生息する地に住むようになりノウサギを飼育したくなり、新聞に飼いたいと載せると、地元の人が生後4、5日の可愛い子ウサギ2匹を持って来てくれました。この日記は、昭和29年5月18日から昭和31年1月19日まで、ノウサギを観察した記録です。

 兎舎を作り、春夏秋冬と約1年半にわたり行動を観察。ノウサギは夜行性で昼夜関係なく詳細に観察されています。特に子ウサギの生皮は、紙のようにちぎれやすいことなど、身体の知らない特徴や行動など、ノウサギの生態を知ることができました。

 最初、2匹の子ウサギは、性別も分からずA、Bと呼ばれていましたが、性別を調べて「リリ(雌)」「ガン(雄)」という名前がつけられました。今回の表題は、この2匹の名前を使わせてもらいました。

 この絵本『のうさぎ』高橋喜平(文)/薮内正幸(絵)福音館書店・1973年2月刊。薮内さんの描かれた繊細な絵は、すべて白黒ですが、活き活きとしています。『ノウサギ日記』に登場した「リリ(雌)」「ガン(雄)」ではないだろうかと思ってしまいました。

 最後には、2匹とも兎舎の金網を破って、天敵のいる野生の世界に返って行きました。ナチュラリスト高橋喜平さんにとっては、こうしてやることが最良であったのでしょう。そして最後に逃げたガンに向かって・・

「ガンよ、いい青春をおくっておくれ。ガンよ、自由な大地をかけめぐってくれ。」

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 ウサギには「カイウサギ」と「ノウサギ」がいます。私たちがよく知っているのは「カイウサギ」で「ノウサギ」の生態については殆ど知りません。

 横浜市旭区の「横浜市立よこはま動物園ズーラシア」に、飼育されている「トウホクノウサギ」がいるので見に行って来ました。

 大きなケージの中に2匹いました。冬季に入るので全身の毛衣が白化していました。

(注)うさぎの数え方は、今は「匹」で呼んでいますが、「羽」と呼ぶこともあります。

 2匹ともに雌で、誕生日は同じ日で「なずな」と「すずな」という名前だそうです。

 ノウサギは、ペットとして飼われている「カイウサギアナウサギ」とは、少し生態が違います。ノイサギは、足が長く筋肉質でより速く走れる体つきをしていて、天敵の追跡を振り切るまで走るそうです。

 2匹とも、ほとんど動かず、時々耳を立てて周りを警戒しているようです。

 時には足を舐めたりして、可愛らしい仕草をします。

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 現在、世界のどこかで紛争や戦争が起きています。そして尊い命が失われています。どうしても、この本だけは忘れたくはありません。高木敏子さんのガラスのうさぎです。

 先日、『ガラスのうさぎ』を抱いた少女の像を見にJR二宮駅を訪ねました。駅の南口を出たところに像はありました。

 永遠の平和を願う人々の寄付で1981年に建てられました。

 高木さんは、1945年8月5日、二宮駅周辺を襲った米軍の機銃掃射で父を亡くしました。少女像は、父の形見となった「ガラスのうさぎ」を抱いた防空ずきんにもんぺ姿の高木敏子さんです。

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鴫(2)

 里古りて柿の木持たぬ家もなし

 庶民の暮らしの情景を詠んだ松尾芭蕉の俳句です。

 黒須田川の遊歩道の周辺は、昔の風情が残り、あちこちに柿の木があります。

 「オナガ」と「ムクドリ」が、熟柿を啄んでいました。

 川辺には「イソシギ」が飛来。黒須田川では、10月から4月頃にかけてよく見られます。

 今年も夫婦で・・雄雌とも同じ色をしています。

 採食する時は、腰を上下に動かし尾を振りながら歩きます。

 脚が沈まない浅い水辺で、水中を突き刺しながら採食します。

 黒須田川は、干潟や浅瀬が少なく、こんな所で餌を・・岩場や石がゴロゴロした所にいるので磯の名が付いたとか。

 時には、顔を水中に潜らせて・・

 「鴫」と言えば、西行の歌が思い出されます。

 今年のブログ「2023/2/12(鴫)」で、大磯の「鴫立庵」を訪ねたことを紹介しました。

 鴫は、雀より小さいものから大きなものまで、沢山の種類がいます。イソシギはセキレィほどの大きさで、お腹が白い可愛らしい鳥です。

 鴫という鳥は、絵本や童話には、ほとんど登場しません。中国の古典『戦国策』の中にある「鷸蛤の争い」という逸話の中に登場します。この「鷸」の字は「カワセミ」とも読ませる書物もあるそうですが、鴫のことではないかと思います。

 この「鴫と蛤の両者が喧嘩すると、それを利用して第三者が得をする」という逸話が元になって「漁夫の利」という故事が出来ました。

 昨今の世界状況を見ると、この故事、争いを無くす「平和」への願いが込められたメッセージのように思いますが・・

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 日本の鳥食文化は、縄文時代からその痕跡があったようです。その後、鳥食の料理法も増え、江戸時代になると鳥食文化が盛んになります。当時、発行された「料理物語」には、多くの種類の鳥の料理法が紹介されているそうです。「鴫焼き」は、旨い味がするそうです。

  この鳥は、黒須田川で見つけた「タシギ」です。「タシギ」について、インターネットでは「骨が柔らかく、その食味は焼き鳥の王者である」というの記述がありました。

 正岡子規は「鴫」について多くの俳句を詠んでいます。鴫の肉を食べたことがあるのでしょうか。『病状六尺』岩波文庫  の中で、鳥の話として次のように書いています。

「上野の動物園の駝鳥は一羽死んだそうな。その肉を喰ふて見たらば鴫のような味がしてそれで余り旨くなかったが・・」(6月16日)

 子規とっては、鴫は、あまり美味しくなかったのでしょうか。

 しかしこんな句もありました。

 「猟師つれて鴫打ちに行く泊り掛」

 当時、鴫は「鴫突き」という珍しい狩猟法で捕獲していたそうです。そのことを寺田寅彦は「鴫突き」寺田寅彦全集・岩波書店 の中で、明治34年暮、高知市付近で鴫突きの名人に連れてもらって「鴫突き」を経験したことを書いています。そしてこの狩猟法は、一つのスポーツとして興味深いものだとも書いています。「突く」というのは、投槍のように網を突き飛ばす操作を、そう云ったのではないかと言われています。

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 一茶も、鴫については、50句以上詠んでいます。

『一茶全集』信濃毎日新聞社刊  の中から「鳴く鴫」の句を選んで拾ってみました。

 鴫鳴や鶴はいつもの松の丘

               『文化句帖』

 浅沢や鴫が鳴ねば草の雨

               『文化句帖』

 片丘や住初る日を鴫が鳴

               『文化句帖』

 鴫なくや汁のけぶりの止まぬうち

               『文化句帖』

 浅沢や又顕れて鴫の鳴く

               『化五六句記

 大沼や返らぬ鴫を鴫の鳴

               『七番日記』

 鴫立や門の家鴨も貰ひ鳴

               『句稿消息』

 鴫立や死の字ぎらいがうしろから

          『七番日記』

 逃げられない、哀れな運命を背負って「チーィ」と、か細い鳴き声で羽搏いていく鴫を見つめる一茶の姿が浮かんで来ます。

 里山に木々が茂り、鳥たちが集って囀る。その声を聴きに人が集う。そんな自然環境を大切にしたい。

 里あれば人間ありて鴫の立

        一茶『享和二句記』
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カワセミ春夏秋冬(14)

 季節外れの暖かい日が続いていましたが、13日、東京地方で「木枯らし1号」が吹いたという発表がありました。

 晩秋から寒い冬を迎えるこの季節は、野生の動物たちにとっては、食べ物の確保が難しくなって来ます。森林などでは、食べ物が少なくなって来ているのでしょうか、野生の動物が生活圏を広げ、里山から人家へまで広がって来ています。熊が人や家を襲う悲しい出来事も起こっています。

 2~3日前、家の近くの公園でモズを見かけました。モズには「モズの生贄」と言われる不思議な習性があります。生贄にするのは、縄張りの確保だけでなく、食べ物を確保するためとも言われています。

 草茎のまだうごくぞよ鵙の顔

           一茶『句稿断片』

「草茎」とは、草をくぐって餌をあさることです。

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 食べ物の話では、イソップ寓話『アリとキリギリス』岩波文庫 が、よく取り上げられます。冬の間、野生の生き物たちにとって食べ物をどう確保するかは、生命と大きく関係しています。

 黒須田川周辺に飛来する鳥たちで、カラスは、食べ物を地面、古い巣、木の枝、樹洞などに貯食する習性があるそうですが、私はまだ確認していません。それ以外の鳥たちは、毎日の食べ物を探して飛び回っているのではないだろうか。

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 9月から11月初旬の黒須田川では、まだ寒さは厳しくないので小魚や虫たちの活動が見られます。この時期のカワセミの餌採する様子を観察しました。

<狙う>

<飛ぶ>

<獲る>

<食す>

 こんな光景を見ました。川べりの芝生から狙っていたカワセミは、急に反対側にある2mほどの枝に移り、そこから川に飛び込みました。嘴の長さより大きなオイカワを見事に捉えていました。獲物の大きさによって瞬時に判断して飛び込む高さを決める、さすが漁の名人です。

 ほかにも太陽の光線を上手く活用して枝に止まったり、獲物の大きさによって止まる枝の高さ(2mの高さに止まっていることが多い)を変えたり、薄暮で暗くなってくると川の中の石に止ることが多い。時には、カルガモの餌採の動きで躍り出た小魚を取り合いをするのを見たことがあります。特に川底を小刻みに足で探り小魚を漁っているコサギの傍にはよく飛来して、川の中の動きを凝視しています。

 黒須田川は、カワセミの好きな小魚、ヤゴ、エビなどが豊富なのだろうか。寒くなっても餌採には苦労していないようです。都会に住むカワセミは、雪が降ったり、大雨で増水し濁ったりしすると多少は苦労しているようです。しかし都会に住むカワセミは、四季の変化に強靱に対応しているように思います。

 餌を狙うには、丁度よい距離にある止まり木(傘の柄)ですが・・こんな景色はカワセミには似合いませんね。

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