秋めく

 11月の三連休は、季節外れの暑さになり、夏日が3日続いた地域がありました。普通ならば衣更えに入る気候ですが、半袖姿の人を多く見かけました。異常気象でも、木の葉は、青葉から黄色・橙色へと変わろうとしています。

 一般に「春」と「夏」の気温は似ていると言われます。しかし私たちは「春は寒冷から温暖」「秋は炎暑から寒冷」と気温の捉え方や感じ方は違っています。それとともに自然の姿にも違いがあります。特に太陽の光の角度の違い、空の色、雲の形、木の葉の光沢や色など、私たちの住んでいる周辺の景色や雰囲気も違っています。

 この自然の循環(移り変わり)の時期で眼につきやすいのが、気温に敏感に反応する「虫」と「鳥」です。黒須田川周辺に生息する虫たち、飛来する鳥たちの姿を時系列で追って見ました。

2023.10.1 これは枯葉ではありません。「キタテハ」という蝶です。

2023.10.7

2023.10.8

2023.10.14 緑色の蜘蛛は?「ワカバクモ」と言います。

2023.10.17 「イソシギ」は留鳥ですが、今年も夫婦で飛来しました。

2023.10.18 この蝶は「ツマグロヒョウモン」です。羽根の裏側は枯葉のようではなく、綺麗な模様をしています。

2023.10.19 渡り鳥「ジョービタキ」の初見。夫婦で飛来。

2023.10.21 草蔭から飛び出したのはバン(冬羽)。黒須田川では、滅多に見られない。迷い込んだのかな。

2023.10.25

2023.10.26 秋は繁殖の時期です。

2023.10.29

 ごめんよ。踏みそうになった。

2023.10.31

 「秋」とは「立秋(8/8)」から「立冬(11/8)」までを言うそうですが、明日は「立冬」です。もう冬ごもりに入った蟷螂と蝸牛。

 ここで紹介したのは、私が散歩中に出会ったほんの一部の虫と鳥たちです。これ以外にも多くの生き物が卵を生んだり、寒さと飢えを凌ぐために巣を作り冬眠に入ったりと、寒い冬を迎えるために、生死を賭けて準備と活動をしています。

 10月は、思いがけない光景に出逢いました。カワセミ夫婦は、なんの反応もしませんでした。

     *

 木々を飛び回るヒヨドリムクドリたち。ピラカンサの実が赤く熟しているよ。

 冷たい北風に靡く白い穂先。

 誰ぞ来よ々とてさはぐ芒哉

         一茶『七番日記』

     *

     *

 

柿生の里

 柿が美味しい季節になりました。私の住んでいる周辺には柿の木が多く、多くの実をつけ枝が撓んでいます。

 柿が遊歩道に落ちて来そうです。

 甘く熟した柿は、メジロの好物です。

 黒須田川の遊歩道から、少し脇道に入るとまだ柿畑の田園風景が残っています。柿畑の後ろに見える丘陵は「稲荷前古墳」です。

 10月26日は「柿の日」でした。私が住む家から15分のところに古刹王禅寺があります。2017/10/26のブログでも紹介しましたが「禅寺丸柿」で知られている寺です。10月21日が「禅寺丸柿の日」として制定されています。

 王禅寺には、柿生の里の風情をこよなく愛した北原白秋長歌の碑が、禅寺丸柿の原木の傍らにあります。

 柿生ふる 柿生の里

 名のみかは禅師丸柿

 山柿の赤きみれば

 末房に秋は闌けたる

 もみぢふ散りかふみれば

 いちはやく霜か冴えわたる

 訪れた時には、古木に一つの実が残っていました。静寂でほっとする景色です。

 近くの「王禅寺ふるさと公園」に植えられた木に、まだ沢山の実が付いていました。

 明治後期の記録によると、神奈川県内のおよそ半数以上は禅寺丸柿であったと言われています。(麻生歴史観光ガイドより)

 ここでもメジロが・・・

 白秋は「王禅寺に想む」(『香ひの狩猟者』河出書房)の中で、昭和10年10月、王禅寺を訪ねた時の印象を書いています。王禅寺については、名前も所在も知らなかったが、柿生駅から妻と共に柿を探勝しながら鶴川駅まで歩いたが、方向と王禅寺の名前とを間違い、辿り着いたのが「高蔵寺」であった・・。本堂を案内された後、お茶と柿をごちそうになり、鶴川駅まで戻り、それから自動車で王禅寺に向かったと書かれています。

      *

 先日、柿生駅から高蔵寺まで歩いて見ました。白秋がどこで間違ったかは定かではありませんが、昭和初期の田園風景は、今は見られません。まず小田急線に近い道を選んで南の方向に歩きました。

 古い家には庭木として柿の木が植えられています。

 空き地にも柿の木が植えられています。

 住宅が密集して道路からは高台にある高蔵寺の杜は見えません。鶴見川真光寺川の合流付近で、やっと寺らしい木々が見えました。お寺の杜にしては、少し異常な木々に見えます。それは2022年1月3日午前4時10分出火し、本堂、住居棟、倉庫などが全焼して、寺の裏の大きな木々だけが残されました。

 白秋が「・・渡ると、何か神気が澄みわたる心地がした」という「精進場橋」まで来ると小高い丘にある木々がよく見えます。

 高蔵寺の周囲は、美観地区となっており、畑も手入れが行き届いており、並んだ柿の木には、たくさんの柿が地面近くまで垂れ下がっていました。

 畑の傍に柿の木がある風景は、懐かしい昔の田園風景を想い出します。

 柿畑に囲まれるように「高蔵寺」はありました。当時は茅葺きであったので、白秋は「山柿の寺、さういへば何よりピタとよくはまる」と表現しています。

 境内の紅葉は、まだ色づきは始まっていませんでした。

 本堂は再建中で、白い塀に囲まれていました。

 門を入った左側に、白秋が訪れた時に詠んだ歌が、七首刻まれた石碑があります。

 高蔵寺しづかやと散葉眺めてゐて

 梢の柿のつやつやしいろ

 当時境内には柿の古木が数十本生い茂っていたそうですが、今は大きな老木が1本残っていました。

 境内の小さな柿の古木の傍に・・

 その他に、次のような歌を詠んでいます。

 *寺山や柿の落葉を踏み立つる

  音のみすなり背戸と思ふあたり

 

 *坊が妻筵ひろげて選る柿の

  照る玉赤し庫裏の秋陽に

 

 *風凍みてさびゆく朱の山柿は

  み寺の縁に端居して見む

 

 *あくまでも霜はいたりぬこの柿や

  果のつけぎはに黒きしみあり

 

 *庖丁に垂れりつつ長き柿の皮

  ねもごろ妻が云ひてむきつつ

 

 当時は周辺も柿を中心とした生活で、寺と住民が一体となって生活をしていたそうです。訪れた白秋が住民と一緒に柿を捥いで皮を剥き、縁側で柿を愛でながら、語り合って食べている情景が浮かんで来ます。

       *

 帰りは鶴川駅まで歩きました。途中、渋柿なのでしょうか、熟した柿が路上に転がっていました。

 また枝では落ちずに「干し柿」になってしまった柿も・・

 柿の実が無くなる頃には「柿生の里」も冬の姿に変わるのでしょう。

 柿の蔕黒くこごれる枝見れば

 み冬はいたも晴つづくらし

           「白南風」より

         『北原白秋歌集』岩波文庫

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      *

アキアカネ

 ウォーキングするには、心地よい気候になってきました。

 爽やかな秋風に乗ってキンモクセイの甘い香りが匂って来ます。

 お彼岸を過ぎる頃までは、歩く足元に纏わりつくように飛んでいたハグロトンボも知らない間に数が減って来ました。

 水草に産卵を終えたのでしょうか・・飛び方も弱々しくなっていました。

 ハクセキレイの餌食になってしまいました。

 黒須田川の川べりは、ハグロトンボ、シオカラトンボから赤トンボが主役に変わって来ました。

 町中や列を正して赤蜻蛉

       一茶『文政句帖』

 トンボは『日本書紀』や『古事記』で歌われ親しまれて来ました。その中の「赤トンボ」は、日本では20種以上います。童謡「赤とんぼ」に登場するトンボは「アキアカネ」と言われています。

 トンボは棒の先に止まる習性があります。気にいった棒があると、その棒に戻って来ます。写真を撮るには、逃げられた棒で待っていると、その棒に戻って来ます。

 雄は赤く、雌は橙色をしています。 

   

          

 6月頃から9月にかけては「ナツアカネ」と「アキアカネ」が混じって飛んでいます。その見分け方については・・

 飛んでいる時は見分けずらいですが、丸印のところに黒い帯が3本あり、その真ん中の黒い帯が横に切れていれば「ナツアカネ」です。

  

 切れ方が尖っていれば「アキアカネ」です。

       

      *

 今年は、黒須田川に、たくさんのアキアカネが飛来しています。次の写真には、アキアカネが9匹写っています。

 アキアカネの生態は、秋に田んぼや池に産卵し、春になるとヤゴが誕生。6月頃から羽化します。暑さに弱いので、夏は涼しい高原で生活し、秋になると鮮やかな赤色となって里に戻って来ます。

 危険でないと分かると羽を下げる習性があります。

 蜻蛉の赤いべべきたあれ見さい

          一茶『七番日記』

 寒さに敏感なのでしょうか。先日の冷え込みでアキアカネの数が一気に減りました。

 うろたへな寒くなるとて赤蜻蛉

          一茶『文化句帖』

      *

 日本では、田圃の神様の化身と考えらえて縁起が良いといわれているトンボ。西洋では、トンボは「dragonfly」と呼ばれ、龍が邪悪な存在で災いをもたらすと言われ、縁起が悪いと言われます。また「魔女の針」とも呼ばれているそうです。

 『イソップ寓話集』岩波文庫には、トンボが登場していません。よく知られている「アリとキリギリス」のお話が、いろいろな昆虫に変わったりしています。トルストイ寓話では「トンボとアリ」となっているそうです。

 ルナールの『博物誌』には登場します。トンボの特徴である大きな目玉について「彼女は眼病の養生をしている」そのために川べりをあっちの岸へいったり、こっちの岸へ来たりして、腫れあがった眼を水で冷やしているのだと・・

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 万葉時代から親しまれてきた「アキアカネ」は、地域によって数が減ってきているそうです。減少の理由は、地球の温暖化、農薬、米を作るのをやめた田圃が増えたことにより、産卵する田圃がカラカラに渇き産卵できなくなり、トンボが住みにくくなってきているといわれます。

 その状況の中でアキアカネを大量に羽化させるために取り組んだ農家の人がいます。そのことが書かれた本が、第61回日本児童文学協会賞を受賞した『万葉と令和をつなぐアキアカネ山口進(文・写真)2020年9月・岩崎書店で、小学校高学年対象です。 

 本で紹介されている農業人は、新潟県柏崎市の内山常蔵さんです。常蔵さんの有機栽培による米作り、特に水入れと水切りの時期を大事にして、アキアカネの産卵と羽化を助ける取り組みの成果が書かれたドキュメントです。最近は、トンボ獲りをする子供が少なくなっているそうですが、トンボの世界を覗く、良い本であるように思います。

 黒須田川周辺には、貯水池があり、小さな水たまりも出来ています。また黒須田川は水量が少なく流れが緩やかで、浅い水たまりも出来やすいですが、トンボたちの産卵・羽化の環境としては十分ではありません。しかし、今年もアキアカネが川面を飛び交ってくれました。この環境を大切にしていきたい。

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 百尺の竿の頭にとんぼ哉

       一茶『八番日記』

 「百尺の竿頭一歩を進む」という禅宗の教えがあります。悟りの境地に到っても、尚さらに、それを徹底させるという。

 この句は、『八番日記』に載っており、晩年の一茶が仏教の修行として取り組んでいる姿が強く表現されているように思います。

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風見鶏

 秋風や俄にぞっとしたりけり

       一茶『七番日記』

 信じられないほどの猛暑の日が続きましたが、お彼岸を過ぎる頃から、俄に風の感じ方が変わって来たように思います。

 古くから日本人は、四季の移ろいが生み出す風の微妙な違いを感じ取って、その風に名前を付けて来ました。台風に関連する言葉から動植物、行事、漁業、農業に関するものまで。風の方向、場所、強さ、時間帯、地域特有の風など、日本語の風の名前は、約2000種類以上あるといわれています。秋に吹く風についても、初嵐、野分、色なき風、、金風、雁渡し、爽籟、青北風などと、多彩な表現をしています。

 その風の動きや方向を目に見えるように知らせてくれるのが「風向計」です。昔は「風見鶏」とも呼ばれていました。「風見鶏」の起源は、はっきりとしていないようですが、雄鳥が悪魔を追い払うためとも言われ、主にヨーロッパの教会や住宅の屋根に取り付けられています。装飾部分は、鶏以外の動物をかたどったものもあります。日本でも、それとよく似たものに、鯉幟の上部についている「吹き流し」があります。これも魔除けの意味があるそうです。

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 シェイクスピアの2つ作品でカワセミが登場します。

 その一つが悲劇『リア王』です。2幕2場で王の忠臣ケント伯が、悪党の執事オズワルドについて、こう話します。

「主人の心に兆す欲望なら、何であろうと逆らわず・・否も応も主人の風向き次第、軒端に吊した日乾しの翡翠同様、ぐるぐる嘴の向きを変える・・」福田恆存訳・岩波文庫より

 このような残酷に見えるような形で、カワセミの嘴が使われていたのでしょうか。しかし西洋の民間伝承によると「カワセミの死骸を吊るしておくと、風の吹く方向に嘴が向く」と考えられていたようで、日本ではカワセミは「川の鳥」と思っていますが「海の鳥」として捉えていたのでしょう。

 シェイクスピアの翻訳者でもある明治の文豪・坪内逍遥が晩年過ごした熱海市にある旧居(双柿舎)の「逍遥書屋」の塔上には、カワセミの風見が掲げられています。機会があれば訪ねてみたいと思います。

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 このシェークスピアの台詞を引用して、カワセミを奇怪な動物として記載されている本があります。その本は『奇怪動物百科』ジョン・アシュトン・高橋宣勝訳・早川書房です。この本は1890年(明治23年)に出版、図鑑もなく生態が詳しく研究されていない時代では奇怪な鳥だったのでしょう。

 こんな姿を見れば奇怪に見えたのでしょう。

 嘴の2倍もある魚を飲み込んでしまう。

 カワセミの嘴は、太く長くて魚を獲るには優れています。

 成鳥の嘴の長さは、4cm前後で、雌は下の嘴が赤いのが特徴です。

 光りの状態によっては、赤い口紅のように美しく見えます。

 雄は嘴の上下とも黒い色をしています。

 若鳥と成鳥では、嘴の長さが異なります。

 これは真上から見た嘴の形状です。

 真正面から見ると・・あの長い嘴はどこに・・白髭の好々爺に見えてきます。

 この嘴の形は、水や空気の抵抗を減らすために四角錐の形をしています。この形が新幹線の500形「のぞみ」の先頭車両の形状に活かされました。

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 横浜市内に古い風見鶏があるというので、先日、横浜市中区柏葉にある「市認定歴史的建造物」となっている「岩田健夫邸」を訪ねました。訪ねた時は工事中でした。

 木造一階の洋館で、大正元年(1912年)に建てられました。

 八家形のサンルームの屋根に風見鶏が付けられています。

 以前は人が住んで居られたようですが、今度、旧横浜税関山手宿舎跡地に移築されるようです。

 岩田邸周辺は起伏があり、少し急な坂道を登ると見晴らしの良い鷺山さくら公園があります。昔は鷺が棲息していたのでしょう。石川町駅へ向かう帰り道で、元町商店街の鳥のアーチを見つけました。きっと鷺ではないかと思いましたが「フェニックス」でした。

 「伝統を受け継ぎながら、常に新しく生きる」というイメージで、1985年に建てられ10.5mあるそうです。夜にはライトアップされるそうです。

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 私の住む住宅周辺も洋風の住宅が増えていますが、屋根には避雷針とテレビのアンテナとパラボラばかりです。黒須田川の遊歩道から、時々こんな景色に出会うと「風見鶏?」と見間違うことがあります。

 この景色は、風もない穏やかな日にしか見られません。

 秋風や鶏なく家のてっぺんに

         一茶『七番日記』

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黄鶺鴒

 9月に入っても真夏日が続いていますが、植物たちは、季節の移り変わりを感じているようです。散歩中に川底に咲いている「彼岸花」を見つけました。咲いていたのはこの一か所だけです。

 「彼岸花」は、9月20日の「誕生花」です。

 秋風やむしりたがりし赤い花

         一茶『おらが春』

 この句は、前書きに「さと女卅五日 墓」と記されています。亡くなった娘の墓参の途中で、秋風に揺れる赤い花を思い出して詠んだのでしょう。「赤い花」とは「彼岸花」のことでしょう。

     *

 9月8日から23日は、二十四節気の「白露」にあたります。その次候は「鶺鴒鳴く」です。

 鶺鴒の来鳴く此頃

   藪柑子はや色づかね

     冬のかまへに

      伊藤佐千夫『佐千夫歌集』岩波文庫

 「鶺鴒」は、日本神話のイサナギイザナミに男女の交わりを教えた鳥で知られています。神話に登場したのは「黄鶺鴒」ではないか?とも言われています。

 鶺鴒は留鳥で年中見られますが、黒須田川付近で見ることができるのは「白鶺鴒」「背黒鶺鴒」「黄鶺鴒」の3種類です。「黄鶺鴒」は、川の上流付近でよく見かけます。この「黄鶺鴒」は、9月20日が「誕生鳥」でもあります。

 この美しい黄鶺鴒を「渓流の貴婦人」と呼んでいる人もいます。

 私も、黒須田川に飛来する「黄鶺鴒」を「渓流の貴婦人」と名づけたい。

 ふっくらとした黄色の羽毛に包まれた可愛らしい幼鳥です。

 鶺鴒の「チチィ」「チチチィ」と高く鋭い囀りが、秋の涼しい空気を運び、澄んだ秋空に響く、そんな気候に早くなって欲しいと思います。

 秋の天小鳥ひとつのひろがりぬ

         一茶『化五六句記』

     *

     *

清き水

 黒須田川と谷本川鶴見川とが合流するところにある堰で「ゴイサギ」をよく見かけます。夜に活動をする鳥が、炎天下の昼間に、じっと動かないで立っているのは異様に見えます。

 この日は、成鳥と一緒に若鳥(写真右下)がいました。

 ゴイサギは、夜にゆっくりと飛びながら「グァー」「ゴァー」と鳴きます。私は、まだ夜に泣いている声を聴いたことがありません。サギの鳴き声は、不気味で憂鬱だと嫌う人がいますが、小説家・詩人の中勘助(1885-1965)は、サギの鳴き声を・・

 松の林に 鷺の声す

 いざいでてみればや 松の林に

 こころよきかな

 冷に響なき 石磐の音にさもにたり

 わが思にもにたり

 いざあととめてゆかな

 松の林を

    『しづかな流』~鷺~より

(注)「石磐」とは楽器のこと、「磐(けい)は「へ」の字の形の石をぶら下げて、バチで叩いて音を出す中国古代の楽器です。

 またこんな諺もあったそうです。ゴイサギの夜に飛び回る習性を逃亡という意味の隠語として使い、結婚してもすぐに逃げ帰ってくることを『五位鷺の嫁入り』と言ったそうです。『鳥のことわざウォッチング』国松俊英河出文庫より

       *

 都会などで見られる身近な鳥は、スズメ、カラス、ハト、サギなどの留鳥が多いです。俳句では、これらの鳥の名前だけでは季語になりませんが、気候や状態を表わす言葉を付けて使われています。それだけ身近で親しみのある鳥なのでしょう。都会では、近くに川や沼がなければ出会うことが少ないサギですが、俳句の世界では・・四季を通じて、いろいろな情景が詠まれています。

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 黒須田川は、サギの好きな魚(オイカワ)が豊富なのでよく飛来します。その川が、先日の台風13号が過ぎた後、川の水が一面緑色となっていたので驚きました。

 山清水人のゆききに濁りけり

          一茶『文政句帖』

 アオサギは、戸惑っているように見えますが、餌を獲れるのでしょうか。

 カワセミは戸惑う様子もなく、餌を獲っているように見えます。

 どうして緑色になったのかは分かりません。ネットニュース(テレNews)で、2023年7月5日に、奈良県生駒市竜田川が一面に緑色に染まったという記事がありました。原因は入浴剤によるものだそうです。黒須田川も同じ原因かどうか?

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 翌日、黒須田川は、少し乳白色になっていましたが、いつもの水量と流れでした。カワセミも元気に飛び回っていました。カメラに収まったのが・・この1枚。

 水は綺麗で小さな魚たちも元気でした。

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 「景観生態学」という学問があるそうです。その詳細については、専門書に譲りたいと思いますが、自然環境の保護と人間の生活との調和を考えるには、これから必要な研究分野なのでしょう。

 私の住む近くの黒須田川は、雨水や湧水の増水から人・家を護る防災の川で、景観はそれほど重視されていません。しかし年々、川に沿って草木が増えると、そこに生きものたちも集まって来て生活の場となります。また鳥なども飛来します。その動植物に囲まれた景色は、人間にとっても憩いや癒しの場所となります。それが自然環境の保護にも繋がって行きます。

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 川の色は周りの環境で違って見えることがあります。木々や空が映ったり、川底の藻など違って見えたりします。綺麗な水には魚たちも集まり、いろいろな鳥たちも飛来します。

 黒須田川の「水」と「サギ」たちの四季の風景です。

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カワセミ春夏秋冬(12)

 あゝ暑し何に口明くばか烏

         一茶『八番日記』

 今年の8月は、例年と異なる猛暑日が続きました。散歩しながら川辺を眺めると水を飲みに集まる鳥たちが目に付きました。水中の餌を獲るカワセミは、この暑さを、どう感じているのだろう。

 今、黒須田川をテリトリーとしているカワセミは2羽です。8月に入ってから、この2羽に出会うことが多いようです。

 最初、2羽は親子だと思っていましたが・・夫婦のようにも見えます。

 2羽は、一緒の方向に飛んだり、別々の方向に飛んだりと・・出会うたびに行動が違っています。

 アスファルト道路の温度は、40℃を超えていますが、水面近くの温度は、それよりも低いでしょう。その涼しい温度?の中で活動するカワセミの様子を観察して見ました。

(観察期間は、2023/8/1-8/31)

 いきなり水音がして・・獲物は草の影にいました。

 お見事!

 数回叩きつけると気絶しちゃった。この技は凄い!

 餌を獲った後は、何回も飛び込んで水浴び、そして毛繕いをします。

 木陰の枝に止まって、ゆっくりと毛繕い・・

 木漏れ日の悪戯でしょうか。羽が宝石のように美しく輝いています。

 時には、こんな風景が・・堰に止まっていたカワセミが、突然、羽を広げ鳴き出しました。何かを見つけたようです。

 その傍を「チッチッ」鳴きながら、もう一羽が通り過ぎて行きました。縄張りへの侵入の威嚇か・・それとも仲間への合図なのか・・

 8月は、突然のスコールが多くありました。その時も、激しい雨にも負けず・・

 濁流になっても・・諦めず狙いを定めます。

 お腹がいっぱいになると・・可愛らしいポーズをしてくれます。

 雀が近寄って来ることもあります。

 夕方近くになると・・2羽が水面に近い石に一緒にいるのをよく見かけます。

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 台風シーズを迎え、増水して氾濫を防ぐために、川岸に生えた大きな木々が伐採されました。鳥たちの動きが、よく見えるようになりました

 しかし、こんな風景は見られなくなりました。

 9月も猛暑が続く予報が出ています。昨日、散歩中に「ツクツクボウシ」が鳴いているのを聴きました。そろそろ秋の気配が・・近くまで来ているのだろうか。

 秋の蝉つくづく寒し寒しとな

         一茶『七番日記』

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