2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

徳利(2)白釉

徳利(1)焼締め

朝鮮唐津徳利と皮鯨盃

酒はいつ頃から人間の世界に現れたのだろうか? 人間の歴史とともに酒はあったのだろう。猿酒と呼ばれるものがあって、人間がこれを発見したのは極めて自然なことであろう。 猿酒とは、猿が拾い集めた木の実が、樹木の祠や岩の窪みで自然発酵して酒に変わっ…

花三島蓋壷(共蓋)

蓋とれば壷のいきれや忘れ梅 (會津八一 ) (注)會津八一(1881-1956)は新潟県出身、歌人で美術史家。

黄瀬戸塩壷(共蓋)

塩壷の庇のぞかんけふの月 ( 素牛 ) (『俳諧撰集〜藤の実』) (注)素牛は広瀬惟然(生年不詳〜1711)の号。 江戸時代前期〜中期の俳人。美濃の生まれで芭蕉の門人。 高さ12.6cm・重さ650g

蠟抜き塩壷(共蓋)

酒盃(18)瑠璃釉盃

琉璃は、日本では仏教の七宝の1つとして、古くから珍重された濃青色の鉱物です。洋名ではラピスラズリと言います。その宝石の色に因んで、琉璃色は至上の色として神聖視されました。良く知られている「竹取物語」にも「金、しろかね、るりいろの水、山より…

酒盃(17)面取盃

酒盃(16)志野盃

注口土器写し

縄文土器といえば、あのダイナミックな火焔土器が浮かびますが、精巧な造作と複雑な装飾文様を施した「注口土器」も魅力があります。 現在、使用されている急須の形に近い注口土器(縄文後期・長野県瀧澤遺跡出土)の写しを作ってみました。日常の生活に用い…

印刻文四方皿

江戸時代(1603-1868)に「お皿」について、どんな句が詠まれたかを調べてみました。 菊さけり蝶来て遊べ絵の具皿 ( 服部嵐雪・1654-1707 ) 五器皿も手当り堅しけさの露 ( 露 川 ・1661-1743 ) 風にちるや欠を尋ぬる桔梗皿 ( 井原西鶴・1642-1693 ) 皿…

轆轤引き

夏山やうちかたむひてろくろ引 ( 与謝蕪村 ) (『蕪村俳句集』岩波文庫) 轆轤がいつ発明されたかは、はっきりしておらず、紀元前6000年前から紀元前2400年の間に発明されたのではないかとされています。メソポタミア説が有力です。 日本でも源流は定かで…

蠟抜辰砂ビール盃

花咲くや日傘のかげの野酒盛 ( 小林一茶 )径7.5cm・高さ11.1cm・高台径4.6cm・重さ220g

酒盃(15)馬上盃

乗合の馬車酒くさき残暑かな ( 子規 ) 雪や砂馬より落ちよ酒の酔 ( 芭蕉 ) 口径7.2cm・高さ9.9cm・高台径4.4cm・重さ470g

酒盃(14)織部ビール盃

円錐形の発泡スチロールに、たたら板を丸めて作りました。よく使われる手法です。綴目は波型にしました。 このような綴目は、向付、菓子鉢、抹茶茶碗などに多く使われます。 径8.2cm・高さ11.7cm・高台径6.2cm・重さ260g

酒盃(13)焼酎盃

江戸時代の「和漢三才図会」によれば、古くから庶民のお酒として愛されてきた「焼酎」は、暑気払いの飲み物と記されています。そのために俳句では夏の季語となっています。 口径8.5cm・高さ10.6cm・高台径5.7cm・重さ280g

酒盃(12)皮鯨平盃

江戸時代の「百家説林」では、飲酒十徳として「礼を正し、労をいとい、憂をわすれ、鬱をひらき、気をめぐらし、病をさけ、毒を解し、人と親しみ、縁を結い、人寿を延ぶ」と言っています。 ほだの火や小言八百酒五合 ( 小林一茶 )

白化粧片口鉢

日本において、注ぎ口のある器は縄文前期に出土しています。片口は、もともと酒や醤油を瓶などに移し変えるのに使われた台所用品でしたが、近年は料理を盛り付ける食卓の器として使われるようになってきています。また徳利の代わりの酒器や花器などにも使わ…

白釉茶盌

口径10.4cm・高さ9.2cm・高台径6.0cm・重さ450g

酒盃(11)練込盃

不沙汰した人も寄合ふ煮酒哉 ( 井上井月 ) (『井月句集』岩波文庫)

紅志野盌

冬籠茶碗の昔その昔 ( 柳沢信鴻 ) (注)柳沢信鴻(1723〜1792)は江戸時代中期の大名、俳人。号は米翁