鴫(2)

 里古りて柿の木持たぬ家もなし

 庶民の暮らしの情景を詠んだ松尾芭蕉の俳句です。

 黒須田川の遊歩道の周辺は、昔の風情が残り、あちこちに柿の木があります。

 「オナガ」と「ムクドリ」が、熟柿を啄んでいました。

 川辺には「イソシギ」が飛来。黒須田川では、10月から4月頃にかけてよく見られます。

 今年も夫婦で・・雄雌とも同じ色をしています。

 採食する時は、腰を上下に動かし尾を振りながら歩きます。

 脚が沈まない浅い水辺で、水中を突き刺しながら採食します。

 黒須田川は、干潟や浅瀬が少なく、こんな所で餌を・・岩場や石がゴロゴロした所にいるので磯の名が付いたとか。

 時には、顔を水中に潜らせて・・

 「鴫」と言えば、西行の歌が思い出されます。

 今年のブログ「2023/2/12(鴫)」で、大磯の「鴫立庵」を訪ねたことを紹介しました。

 鴫は、雀より小さいものから大きなものまで、沢山の種類がいます。イソシギはセキレィほどの大きさで、お腹が白い可愛らしい鳥です。

 鴫という鳥は、絵本や童話には、ほとんど登場しません。中国の古典『戦国策』の中にある「鷸蛤の争い」という逸話の中に登場します。この「鷸」の字は「カワセミ」とも読ませる書物もあるそうですが、鴫のことではないかと思います。

 この「鴫と蛤の両者が喧嘩すると、それを利用して第三者が得をする」という逸話が元になって「漁夫の利」という故事が出来ました。

 昨今の世界状況を見ると、この故事、争いを無くす「平和」への願いが込められたメッセージのように思いますが・・

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 日本の鳥食文化は、縄文時代からその痕跡があったようです。その後、鳥食の料理法も増え、江戸時代になると鳥食文化が盛んになります。当時、発行された「料理物語」には、多くの種類の鳥の料理法が紹介されているそうです。「鴫焼き」は、旨い味がするそうです。

  この鳥は、黒須田川で見つけた「タシギ」です。「タシギ」について、インターネットでは「骨が柔らかく、その食味は焼き鳥の王者である」というの記述がありました。

 正岡子規は「鴫」について多くの俳句を詠んでいます。鴫の肉を食べたことがあるのでしょうか。『病状六尺』岩波文庫  の中で、鳥の話として次のように書いています。

「上野の動物園の駝鳥は一羽死んだそうな。その肉を喰ふて見たらば鴫のような味がしてそれで余り旨くなかったが・・」(6月16日)

 子規とっては、鴫は、あまり美味しくなかったのでしょうか。

 しかしこんな句もありました。

 「猟師つれて鴫打ちに行く泊り掛」

 当時、鴫は「鴫突き」という珍しい狩猟法で捕獲していたそうです。そのことを寺田寅彦は「鴫突き」寺田寅彦全集・岩波書店 の中で、明治34年暮、高知市付近で鴫突きの名人に連れてもらって「鴫突き」を経験したことを書いています。そしてこの狩猟法は、一つのスポーツとして興味深いものだとも書いています。「突く」というのは、投槍のように網を突き飛ばす操作を、そう云ったのではないかと言われています。

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 一茶も、鴫については、50句以上詠んでいます。

『一茶全集』信濃毎日新聞社刊  の中から「鳴く鴫」の句を選んで拾ってみました。

 鴫鳴や鶴はいつもの松の丘

               『文化句帖』

 浅沢や鴫が鳴ねば草の雨

               『文化句帖』

 片丘や住初る日を鴫が鳴

               『文化句帖』

 鴫なくや汁のけぶりの止まぬうち

               『文化句帖』

 浅沢や又顕れて鴫の鳴く

               『化五六句記

 大沼や返らぬ鴫を鴫の鳴

               『七番日記』

 鴫立や門の家鴨も貰ひ鳴

               『句稿消息』

 鴫立や死の字ぎらいがうしろから

          『七番日記』

 逃げられない、哀れな運命を背負って「チーィ」と、か細い鳴き声で羽搏いていく鴫を見つめる一茶の姿が浮かんで来ます。

 里山に木々が茂り、鳥たちが集って囀る。その声を聴きに人が集う。そんな自然環境を大切にしたい。

 里あれば人間ありて鴫の立

        一茶『享和二句記』
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