「燕やひらりひらりと町の中」(子規)

 新緑の中を吹き抜ける風に乗って飛ぶツバメの姿を、散歩中によく見かけるようになりました。

 燕来る時になりぬ雁がねは

     本郷思ひつつ雲隠り鳴く

      大伴家持万葉集(下)』岩波文庫

 『万葉集』の中で、ツバメは身近な鳥として詠まれていますが、ツバメ単独というよりも雁の方に重きが置かれて詠まれています。

 私たちに初夏の訪れを知らせてくれるツバメ。私がいつも利用する駅の東口に、いつの間にか巣を作っていました。

 昨年、西口に作られた巣は、雛が大きく育つ前にカラスに襲われ、巣が壊され雛たちは死んでしまいました。今年は、襲われることなく元気に育って欲しいと思います。

 毎年、巣の下には「落とし物注意」の張り紙が出されます。そこに描かれたツバメの親子の絵は、毎年変わっています。愛鳥家の駅員さんが描いたのでしょう。この微笑ましい絵は、人が行き交う慌ただしい構内の人々を、ほっとさせてくれます。

 黒須田川の傍にある人家にも、ツバメが巣を作っていました。

 春は子孫を増やす繁殖の時期です。冬鳥たちの渡りだけでなく、留鳥にとっても新しい命が誕生する時期でもあります。

 まだ暖かい産毛が残ったままのシジュウカラの幼鳥。小さな鳴き声や仕草も可愛く、カメラを近づけても逃げる様子がありません。まだ怖さが分からないのだろう。しかし親が激しく鳴くと、若葉の陰にあわてて逃げて行きました。

 今年は、カルガモ親子の家族を2組見つけました。元気な子供は、それぞれ5羽と7羽です。

 餌の獲り方を教えているのでしょうか。

 1羽か2羽は、必ず親から離れて単独行動をします。親カモは心配しながら周囲の警戒を怠りませんが、危険な時は激しく啼きます。離れて餌を獲っていた子カモたちは、一目散で親の傍に泳いで来ます。

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 黒須田川に飛来していたマガモツグミジョウビタキ、モズ、タシギなどの冬鳥の姿が見えなくなりました。4月上旬まで藪蔭で鳴いていた「アオジ」も姿が見えなくなりました。

 「アオジ」は、私の住む地域では「冬鳥」ですが「漂鳥」と呼ばれます。冬は低地で過ごし夏になると山地などに移動しますが、渡り鳥ほどの距離は移動しません。雄雌ほぼ同色で、雄は目先が黒く、雌は黒くありません。またアオジを「留鳥(漂鳥)」と表記してある図鑑もあります。

 「アオジ」はもともとは「アオシトド」と呼ばれていました。「アオ」は緑を意味し「ジ」はホオジロ科の鳥の総称です。「シトド」はホオジロ科の鳥の古名で、昔はホオジロを指していたようです。『日本書紀』に「巫鳥」という言葉が出て来ています。そして「芝苔苔(シトド)」と読ませています。

 「シトド」の名の由来は、チッチッという地鳴きから来たという説、昔、巫女(しとどめ)が目の周わりを黒く化粧していたのに似ているという説があるようですが、はっきりとはしていません。

 「渡り」は鳥たちにとって生存をかけた移動です。しかし温暖化により鳥たちの生態に合った食・住の場所となれば、移動しない鳥も増えるかも知れない。季節に敏感な鳥たちにとっての季節感も変わって来るかも・・?

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 「アオジ」を詠んだ、こんな歌がありました。

 朝霜の静けき庭にあをじ鳥来ては

      鳴きつつ影樹に動く

        『佐千夫歌集』岩波文庫

 篠のめに青雀(あおじ)が鳴けば罠かけて

      籾まき待ちし昔おもほゆ

      『長塚節歌集-秋冬雑咏』青空文庫

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 私が住んでいる横浜市青葉区に「シトド」と名が付いた「神鳥(シトド)前川神社」があります。この神社は、文治3年5月(1186年)に創建され「白鳥前川社」と称していましたが、いつ頃よりか「白鳥」が「神鳥」と書き「シトド」又は「シトトリ」と読むようになり、今日に及んでいるそうです。

 神社の「神鳥(しとど)考」という解説には、「この「之止止」は霊鳥であることから、神鳥や巫鳥(ミコドリ)の二字があてられるようになりましたが、後にはこれらを合わせて「鵐」と書き「シトド」と読むようになりました」と書かれています。

 「ミコドリ」とは、巫女が鳥の鳴き声で吉兆を占った鳥の呼び名だそうです。

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