夏の散歩

 コロナ禍は、働き方に変化を及ぼしただけでなく、日常の生活習慣にも変化がみられるようです。その習慣の変化が「散歩」だというデータがあるようです。

 この三木卓さんの随筆『蝶の小径』幻戯書房は、以前にも紹介しましたが、たくさんの蝶や昆虫が登場します。

 「夏の散歩」という題があります。住んでおられた都内練馬区善福寺公園周辺を散歩した時の動植物との触れ合いの様子が描かれています。そして植物や動物は、すべてカタカナで表記されています。この「夏の散歩」で登場する昆虫(蝶を含む)は19種類、鳥が6種類、樹木が3種類、草花が10種類です。私が、日頃散歩する黒須田川の周辺で見かける動植物ばかりです。この本は、私も一緒に散歩しているような気分にさせてくれます。時々知らない蝶の名前などが出てくると、直ぐに昆虫図鑑で調べるようにしています。

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 蝶の幼虫は、植物の葉を食べて育ちます。その植物の一つに「ギシギシ」という野草があります。

 この面白い名前「ギシギシ」とは・・公園や原っぱ、散歩道などに沢山生えています。ほとんどの人は「雑草」だと思っているのではないだろうか。ギシギシの若芽は食べられ、根は粉末にして薬用に利用されています。名前の由来は、京都の方言説、穂を振るとギシギシと音をたてるからという説などがありますが、定かではありません。

 作者は、幼虫がギシギシの栄養を狙っており、葉が喰われるのは可哀そうに見えると書いています。葉っぱが、こんな状態になってしまうのでしょう。

 陶芸家 河井寛次郎は『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』講談社文芸文庫 という随筆の中で、同じことを書いています。京都・山科へ出かけた時に、峠で山桐の大木の葉が、虫に食われ葉脈だけが残って、かさかさの葉をつけて立っていたのを見て、その姿は痛ましいものであったと書いています。

 「虫」と「葉っぱ」の「喰う喰われるという痛ましい現実が、そのままの姿で養い養われるという現実とくっついている・・これは何としたことなのでありましょう」そして最後に「これで結構調和しているようだ・・不安のままで平安ーそうなのか、そうだったのか」と・・これが自然の姿なのかもしれません。

 「ホソハリカメムシ」もギシギシが好物のようです。またギシギシは、彼らの愛の巣でもありました。

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 私が散歩で出会った黒須田川周辺の蝶を「夏の散歩」の中で登場した順に紹介します。

 暖かくなってきた3月下旬、最初に出会ったのが「キタテハ」です。

 初蝶のいきおひ猛に見ゆる哉

         一茶『文化句帖』

 「ベニシジミ」の幼虫は、ギシギシの葉を食べて成長します。

 草のてふ昼過比と見ゆる也

         一茶『斗入句帖』

 昆虫の中でも一番親しまれ、愛されているのは「蝶」です。日本では約260種の蝶が知られていますが、『万葉集』では、蝶は詠まれていません。古代の人々にとって、蝶は「神聖な存在」でありましたが、「死霊の化身」と考えられ畏怖の対象でもありました。蝶は「吉」と「不吉」の両面から意識されていたのでしょう。

 「散歩」は、もともとは「食後に消化を助けるために歩く」つまり「腹ごなし」のためでありました。明治になって西洋文化が入り、散歩が運動に変化して来ました。昨今は、散歩も目的に応じて分類され「散歩学」という名前を見かけるようになりました。

 私の散歩は、自宅の周辺を散策しながらのごく普通のブラブラ歩きでしたが、心臓を患ってからは、リハビリ、健康維持のウォーキングに変わって来ました。散歩する時間は、人それぞれでしょうが、「夏の散歩」は、朝方と夕方がいいと思います。また蝶に出会える機会も増えます。その理由は・・

 夏の蝶たちにとって、日本の夏は暑すぎるといわれます。日高敏隆さんの随筆「チョウたちの夏」『春の数えかた』新潮文庫によれば、蝶は変温動物で体の温度は気温と同じです。蝶の筋肉は30℃から35℃あたりでよく動くそうです。夏の30℃には飛びやすいですが、飛ぶと体温が上昇し35℃を超えます。炎天下では更に体温は35℃を超えますので、飛ばないで木陰で体温調節をします。炎天下では人間も直射日光を避けて日陰に入るのと同じです。春は昼間の時間帯でも蝶は飛んでいますが、夏になると昼間は涼しい所に隠れています。

 木の陰や蝶と休むも他生の縁

         一茶『文政句帖』
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