この鳥は黒須田川に、よく飛来する「イソシギ(磯鴫)」です。

 シギの種類は多く、日本では50種以上が棲息しています。「イソシギ」は留鳥なので年中見ることができます。

イソシギ」は「クサシギ」とよく似ているので間違うそうです。イソシギは、お腹の白い部分が首の方向に切れ上がっているので、違いがすぐに分かります(〇の部分)

 私が住む近くの沼地では「タシギ(田鴫)」を見ることがあります。

 一般にシギは「鴫」と書きますが「鷸」とも書き、使い方に迷うことがあります。『野鳥歳時記』山谷春潮著・冨山房百科文庫によると、俳句では「鴫」を、学問上は「鷸」を用いているが、「鴫」は耕地、山地のシギを「鷸」は河口、江湾のシギと、棲息場所で区別をして使う約束を定めたらどうかと書かれています。

 また「鷸」には「かわせみ」の意味もあります。

 「鴫」は、古来から詩歌の中に詠まれ親しまれて来ました。

 よく知られている「三夕の歌」の一つと言われる西行法師の歌。

 心なき身にもあはれはしられけり

 鴫たつ沢の秋の夕暮

        山家集』より

 この歌は、大磯の海岸を吟遊しながら詠んだと言われます。詠まれたシギは「イソシギ」ではないかと言われています。

 先日、西行法師の歌碑がある大磯の「鴫立庵」を訪ねました。

 冬の相模湾は、人影もなく穏やかな波が打ち寄せていました。JR大磯駅から歩いて7分。国道1号線を渡り、道路の傍の石段を降ると水量は少ないですが鴫立川です。この付近を「鴫立沢」と呼ぶそうです。

 この鴫立川に架かった門前の石橋は、江戸後期に架橋。

 茅葺き屋根の鴫立庵は、江戸時代初期に小田原の崇雪(俳人)が、西行の歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残すこの場所に建てられ、300年以上続く俳諧道場ともなっています。

 鴫立庵室、俳句道場の先に見える元禄そのままの茅葺きの建物が「円位堂(西行堂)」です。中には西行法師の座像が安置されています。

 その傍に歌碑が建てられていました。

 訪ねた時間が早かったので人も少なく、国道の傍ですが静かで、鳥の囀りが湘南の風に乗ってよく聞こえて来ました。木々を飛び回るヒヨドリメジロ・・突然、句碑の上に銀色頭のジョウビタキが、人なっこい目で・・

 この庵は回遊になっていて、奥まったところに「鴫立沢標石」がありました。風化して文字も擦れていました。

 標石の裏には、「著盡湘南清絶地」と刻まれています。崇雪が、このあたりの海岸の美しい景色を、中国湘江の名南方一帯の美しい景色と重ねあわせたと言われています。これが「湘南」という言葉の発祥の地となったと伝えられています。

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 現在、この沢(鴫立川)はコンクリートで護岸されていますが、昔の沢の面影が残っています。

 途中、西湘バイパスを潜り・・

 鴫立沢から数十メートルで相模湾に注がれています。この付近を「小淘綾浜(こゆるぎのはま)」と言われ、箱根の山や真鶴半島、伊豆半島まで見渡せます。

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 鴫の肉は美味しく、古来より狩猟の対象でした。『古事記』には「宇陀の高城に志藝わな張る我が待つや志藝は障らずいすくは鯨障る」と、食用に鴫を罠で獲ったことが記されています。今は保護されていまが、その捕獲方法であった『鴫突き』が寺田寅彦著『野鳥』昭和9年12月刊に書かれています。

「・・叉手形の網で、しかもそれよりきわめて大形のを遠くから勢いよく投げかけて、冬田に下りている鴫を飛び立つ瞬間に捕獲する方法である。「突く」というのは投槍のように網を突き飛ばす操作をそう云ったものではないかと思う。」

 また思いつくままの空想として、こんなことも書かれています。

「鴫突き」は鉄砲で打つのと比べれば実に原始的な方法のようであるが、また考え方によると一つのスポーツとしてはかなり興味の深いものではないか・・」と。

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 一茶も「鴫」について、多くの句を詠んでいます。

  鴫突きのしゃ面になぐる嵐かな

           一茶『七番日記』

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