先日、相模湾に面して広がる海辺の街・平塚市にある「平塚市博物館」を訪ねました。
駅の玄関口には、市民の木である大きな「クスノキ」が2本どっしりと構えていました。そこから真っすぐに伸びたフェスタロード。巨大七夕飾りで知られる「湘南ひらつか七夕まつり」今年は3年ぶりに開かれました。
そのロードを20分ほど歩くと、大きなクスノキ、クロマツや欅に囲まれた八幡山公園があり、その中に「平塚市博物館」がありました。
常設展に併せて、市制90周年記念の夏期特別展「野鳥愛」が開催されています。
平塚市は、県内でもトップクラスの野鳥の種類が多く観察されている場所です。この特別展では、館が所蔵する鳥のはく製標本、野鳥観察グループの活動、岡根武彦さんの野鳥の写真と遠藤勇さんのカービング(木彫りの鳥)が紹介されています。
自然の中で生き生きとした野鳥の写真は、減少しつつある鳥の記録として貴重です。
平塚市での外来種として「カワラバト(ドバト)」「ガビチョウ」「ソウシチョウ」が挙げられていました。私たちの生活の場で、よく見るカワラバトが外来種の扱いにされているのは意外でした。
展示入口に『銀の匙』で知られる中勘助の本『しづかな流』が紹介されていました。
小説家・詩人で随筆家の中勘助(1885-1965)は、大正13年末から昭和7年9月にかけて平塚市に住んでいました。日記風随筆『しづかな流』には、昭和初期の平塚海岸の自然の様子を詩情豊たかに綴られています。この随筆には、多くの鳥たちが登場します。
大正14年に、その沢山の鳥をリズミカルに表現しています。
わしがこけきてきいたみた鳥は
雀からすににはとりやおいて
雲雀ひよどり鶸ほととぎす
かへる雁がねとんでくる燕
ちちろ頬白るり四十雀
あ ほうほけきよ ほうほけきよ
百舌に椋鳥よたかにつぐみ
川で鵜の鳥海では鷗
山の木のまでぴつぴりぴはこーまどり
さつき かつこかつこ ありや閑古鳥
五位はきよんきよん葭きりやがーちやがちや
しまひにつんでる鳩ぽつぽ
また「鳥の唄」という詩では、鳥の特徴にあわせてのオノマトペなど。中勘助は、野鳥に強い関心があり、囀りを聴いたり、鳥たちと親しむのが大きな喜びであったのだろう。
もも鳥の
歌のさなかに
たたずみて
朝山みれば
心ゆかしき
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当時、平塚海岸は温暖地で別荘地帯でもありました。この地に中勘助は家を建てました。その住居跡に、平成30年5月22日に文学碑が建立されました。
その碑は、博物館より南の方向の海岸に近い場所にあります。途中、海抜表示が随所にありました。当時、この周辺は広い桃畑だったそうです。
文学碑は、「桃浜公園」の一角にありました。
「中勘助を知る会」によると、建てた家を「百節庵」と呼んでいたそうです。「節」とは、二十四節気・七十二候のことで、季節がたくさんあるいい処だという意味だそうです。
真鶴産の本小松石の柔らかい石肌には『しづかな流』の冒頭の部分が彫られています。
しづかに時の過ぎてゆくのを
みるのは
しづかな流をみるように
しづかである
この碑から真っすぐ海に向かって10分ほど歩き、国道134号線を越えると平塚海岸です。この海岸は、中勘助の散歩道でもありました。
相模川は、平塚市で相模湾に注ぐ県内最大の河川です。昭和以前は、河口付近に三角州が形成され、葦の原や干潟が広がった湿地帯でした。この干潟には、多くの渡り鳥が飛来していたそうです。昭和初期頃は地曳漁が行われていました。
こちらは大磯、虹が浜の方を眺めた景色です。防風林として多くのクロマツが植えられ、その名残が見られます。
このクロマツの林には、こんな話がありました。
戦前、今の総合公園の松林の中にたくさんのシラサギやゴイサギが巣を作っていましたが、暴風雨で五百数十羽のサギが死んでしまいました。その霊を弔うために「鷺塚」が建てられています。
松の林に鷺の声す
いざいでてみばや 松の林に
こころよきかな
冷に響なき の音にさもにたり
わが想にもにたり
いざあととめてゆかな 松の林を
『しずかな流』の「鷺」より
(注)(けい)とは、中国古代の打楽器。堅い石を平たく「へ」の字形に作り、吊るして鳴らします。日本では仏具として使われています。澄んだ高い響きがします。
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ここに登場するのは、黒須田川に飛来するコサギです。
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