日本海側には寒波が押し寄せて来ているようですが、太平洋側は、晴れて穏やかな大晦日になりました。
今年は、新型コロナにより「外出自粛」「3蜜」「不要不急」が求められる、平年とは大きく変わった日常生活の1年でした。
その状況の中で、多くの方々が亡くなられました。ご冥福をお祈りします。
今年の初詣は、密集を避けるために分散参拝が要請されています。
私は、今日参拝しました。
参拝者は、ほとんどいませんでした。終夜参拝を控える張り紙は、平年と違う年末年始の風景になっています。
いつも家族と参拝する琴平神社。
大きな鳥居が塗り替えられたようで、紺碧の大空に映えていました。
茅の輪の横に設置された大きな看板を横目に見ながら「幸先詣り」となりました。この祈祷殿には思ったより家族連れの参拝者が多く、駐車場は満杯となっていました。
少し離れた小高い丘の上にある本殿にも家族連れが来ていました。
茅の輪がなんとなく寂しく見えます。
早く、コロナが収束して欲しいという願いでしょうか。来年の干支の絵馬が取り付けてありました。
「コロナ退散」の願いと言えば、インターネットなどでは「アマビエ」伝説が話題となっています。アマビエは、江戸時代に疫病の流行を予言し、アマビエの姿を写して人々に見せることで病気から逃れられると伝えられています。
年末には、JR東京駅に大きな会津若松の「巨大赤ベコ」が登場しています。赤ベコを近くに置くと病気や災難から逃れられるという言い伝えがあるそうです。
古来から伝わる厄除け郷土玩具、民間信仰は多くありますが、ワクチンの早期接種が待たれます。
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一茶の俳句・俳文集『おらが春』に、愛娘サトを疱瘡(天然痘)で亡くしたことが書かれています。
古来から人々が恐れていたのが「災害」と「疫病(伝染病)」と言われます。
医療が十分でなかった江戸時代は「天然痘」「麻疹」「水痘」は、「お役三病」といわれ、この疾患を切り抜けることが、人生の最大の願いでもありました。この「疫病退散」の祈願の策として祈祷、呪術などの生活体験からの民間信仰で対応されたようです。
勝峯晋風著『評釈おらが春』(十字屋書店・昭和16年11月刊)によると
「柏原付近では葦で疱瘡棚を造り赤い紙で幣をこしらえて、これを神体に祀り、赤い注連を張っておく民間信仰が行ったことが知られている」
一茶も『八番日記』の中で「赤注連や疱瘡神のことし竹」と詠んでいます。
江戸時代に疱瘡は、神社のしめ縄の中に閉じ込めようとしていたようです。こんな句もありました。
雀の子ほうさう神のしめの内
『文政句帖』
そして亡くなれば「三だら法師」に、お供え物などを載せて川に流し、疱瘡神を追い払ったのでしょう。
疱瘡のさんだらぼしへ蛙哉
一茶『七番日記』
(注)「さんだらぼうし」とは「桟俵法師」と書きます。「桟俵」とは、米俵の両端にある藁で作った円形の蓋のことで、法師に見立てて桟俵法師と擬人化しています。
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一茶は、愛娘サトを、魔除けの守り札など使用しないで、服薬で治そうとしたようです。『八番日記』には、日々の介護の様子が書かれいます。
文政2年6月
2日 サト女薬取野尻行
3日 晴 サト笹湯ノ祝
5日 晴 サト女痛甚ク多介ヨリ熊胆貰
6日 晴 サト女ニ甘草桔梗湯呑ス
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その薬の効果もなく、サトは2歳足らずで亡くなりました。
露の世は露の世ながらさりながら
この世は露だと知りながらも、この句には耐え難い哀しみが伝わってきます。
今年は、新型コロナで亡くなられた方が多くおられます。家族にとっては、耐え難い哀しみだろうと思います。
とく暮よことしのやうな悪どしは
『七番日記』
昨年は自然災害が多く、この句を引用しましたが、今年も同じ「悪どし」となりました。
我が家にも「俵ベコ」がありました。子供が東北へ旅行した時に買ったようです。
この赤べコに、来年こそは厄病神を追い出してもらい、安らかな年になって欲しいと祈ります。
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