本箱(23)

 本棚を整理するとだんだんとカラフルな本が減り、背表紙が茶色をした本が目立つようになりました。並んでいるのは、ほとんど一茶に関する本ばかりです。そこに混じって文学者で詩人・歌人である相馬御風の本が5冊ほどあります。

『一茶と良寛芭蕉昭和22年5月・南北書園刊

『煩悩人一茶』昭和11年11月・實業之日本社刊

『一茶随筆選集』昭和2年5月・人文会出版部刊

『一茶さん』昭和7年9月・實業之日本社刊(実物は昭和9年6月刊の12版)

『一茶素描』(普及版)昭和16年12月・道統社刊(実物は昭和17年12月第2刷)

 何れも戦前に発行された古い本ばかりで、すべて古書市で購入。紙は茶色に変色し、文字も小さく印刷も滲んでいたり、一部擦り切れたりして読むのに苦労します。

 相馬御風(1883-1950)は、新潟県糸魚川市出身で、童謡「春が来た」や早稲田大学校歌「都の西北」の作詞家としても知られています。そして良寛の研究者でもあります。

 また御風は、晩年、郷里に帰ってから一茶の研究をしています。御風は、一茶が晩年に到達した解脱の境地に共鳴します。「煩悩の人」それが御風の一茶像のすべてのように思います。

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 最近、一茶の生涯、そして句の解釈などが書かれた本が数冊出版されています。一茶像については、奇行人・滑稽洒脱人・信仰人・人情人など、一茶の複雑な個性によって様々な見方や評価がされています。しかし一茶の俳風や生き方などから、複雑で多様化する現代社会に、新たなヒントが生れればと思います。

 先月、訪れた諏訪大社には翡翠みくじ」がありました。鳥好きの私にとって「翡翠」という文字からは、直ぐにカワセミが浮かんでしまいます。

 「おみくじ」の中には、1cmほどの「ヒスイ」が入っていました。

 諏訪大社の隣県、新潟県糸魚川市は、日本でも有数のヒスイの産出地域です。そして諏訪大社の祭神「建御名方神」は、日本神話に登場する大国主と奴奈川姫(ぬなかわひめ)の子にあたります。諏訪大社は「ヒスイ」と深い繋がりがあります。

 このヒスイの発見に関係しているのが、相馬御風と言われています。御風が、古事記出雲風土記に登場するヌナカワヒメの持つヒスイは、糸魚川産ではないだろうか?と推理し、知人に話したことがキッカケとなり、鉱物科学者などの調査が始まり、ヒスイの発見に繋がり、糸魚川の姫川流域がヒスイの産地となりました。

 『万葉集(巻題13 3247)「沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも 惜しき 君が 老ゆらく惜しむ」と詠まれた歌があります。

 誰が誰に向けて詠ったのかは分かりませんが、現在残る地名から推測すると「沼名川」は、現在の姫川で、その名前は「奴奈川姫」に由来するという伝承があります。「底なる玉」は、ヒスイを指していると考えられています。「奴奈川姫」は、この地のヒスイを支配する女王であったのでしょう。

 この「沼名川の 底なる玉・・」から生れた古代史のロマンを題材にしたのが、松本清張(1909-1992)の短編小説『万葉翡翠』です。

影の車松本清張・昭和48年8月・中公文庫刊

 この「万葉翡翠」は、ある考古学助教が『万葉集』に織り込まれた歌から新潟県頚城群にヒスイがあるのではないかと話し、3人の学生が糸魚川市の姫川流域の調査に出かけますが・・殺人事件へと繋がっていきます。旅情と古代歴史をからめたミステリー作品です。

 松本清張の小説は、1958年、長編推理小説「点と線」「目の壁」がベストセラーとなり、社会派推理小説ブームが起こりました。私の青春時代の愛読書でした。 

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 猛暑を避けて木陰で休むカワセミを、木漏れ陽が美しい翡翠色になって輝いています。

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 一茶の俳句は、たくさん紹介されますが、あまり知られていない一茶の俳諧歌を紹介します。

 雨もふれ風もふけとて世の中を

      ままの川原のうき寝鳥哉

  『一茶種々相』川島つゆ・昭和3年・春秋社刊

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