鳥類画

 桜の開花に合わせて不安定な天気が続いています。桜の花を散らすような冷たい雨の日に東京・墨田区の「すみだ北斎美術館」に行って来ました。

 美術館は、北斎の生誕の地に2016年11月に開館しました。外壁はアルミパネルで包まれたモダンな建物です。メタリックな冷たい感じがしますが、周りの風景が映り込むと、周囲に溶け込みます。天気が良ければ、緑町公園の満開の桜が映り美しかったでしょう。

 北斎は人気があり、会場には多くの外国の観光客が訪れていました。

 展覧会のタイトルは北斎バードパーク」で、北斎の作品の中で鳥を描いた作品を中心に展示されていました。

 展示は「バードウオッチング」「鳥グッズ」「舞台装置としての鳥」の3部で構成されていました。

 北斎と言えば「富嶽三十六景」などの風景画が浮かびますが、花鳥画においても優れた作品を多く残しています。この展覧会でも北斎や門人の作品が展示されており、花鳥画から江戸時代の人々が、どんな鳥に親しんでいたのかを知ることができます。

 北斎は花や鳥を鋭い観察眼で正確にとらえるだけでなく、自然の中の風の動きや時間の流れまでも表現しているように思います。鳥の飛んでいる一瞬を切り取った美しい動きのある画は、見るものを飽きさせない魅力があります。

 また江戸時代は、鳥を飼うなど「鳥ブーム」でもありました。中国から伝わった「本草学」の発展として、鳥を描いた解説図説などが作られたり、大名や旗本がお抱えの絵師に描かせるなど、江戸時代に「鳥類画(博物画)」が大きく開花したと言われます。

 『北斎漫画』には、幅広い分野の絵が描かれており、北斎の多彩ぶりが伺えます。当時の本草学(博物学)にも興味を持っていたのでしょう。それが花鳥画にもよく表れているように思います。

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 戦前から昭和30年代にかけて、様々な動物や鳥類画を残した画家・小林重三(1887-1975)がいます。名前は余り知られていませんが、小林の描いた鳥の絵を、図鑑などで一度は見ている人は多くいるのではないでしょうか。

 『鳥を描き続けた男~鳥類画家小林重三~国松俊英著・晶文社には、60年にわたって、ひたすら鳥の絵を描き続けた小林重三の生涯が書かれています。

 まだ優れたカラー写真の無い時代だった明治の末。鳥類学者・松平頼孝が鳥類図鑑を出版するために、鳥の絵を描いてくれる画家を探していました。その依頼を受けたのが小林重三です。重三は目指していた水彩の風景画家から鳥類画家へと、どう転身していったのかを、歴史的な事実をもとに詳細に書かれています。併せて日本鳥学会が、どう発展して来たかも知ることが出来ます。

 「鳥類画」は科学的な側面が重視されるので、学者の指示を受けて作画されていますが、重三が描く鳥は、ふんわりとして温かく、そして生き生きとしています。その鳥類画は、日本の鳥類三大図鑑の挿絵となりました。

 小林重三は、日本の鳥学と共に歩んだ画家で、晩年は、神奈川県の藤沢に移住し、湘南の風景画を描き、個展を開いています。

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 その小林重三の鳥類画が見られる本は少ないですが『野鳥歳時記』山谷春潮著・冨山房百科文庫 の巻頭には、10ページにわたって85種の野鳥が載っています。

 この歳時記に小林の挿絵となったのは4版からだそうです。解説の中で志村英雄さんは「小林の原画から挿絵の製版をすることができた。小林の原画の多くが散逸している中で、原画にめぐり合えたのはきわめて幸運というべきだろう。」と書いています。

 現代の鳥図鑑は、ほとんどがカラー写真となっていますが、博物画は背景を省略するのですっきりとして見やすく写真とは違った良さがあります。

 美しい博物画(鳥類画)は、芸術なのか、科学なのかという意見で揺れ動いています。小林重三の鳥類画は、芸術的なタッチで描かれており、博物画という枠に収まらず芸術の域にまで達しているように思います。

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 一茶は、多くの鳥の句を詠んでいますが、鳥を描いた俳画があります。

 一茶筆の「鳩自画賛」俳人の書画美術6・一茶』集英社刊より

  鳩いけんしていふ

 梟よつらくせ直せ春の雨

            『七番日記』

 一茶らしい諧謔に富んだ動物の風景ですが、一茶53歳の時に詠んだ句で、前年に妻きくと結婚しています。可愛らしい鳩は妻きくで、梟は初老の一茶でしょうか。   

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