鬱陶しいこの時期、晴れた日には、いつもの散歩道から離れて、遠くへ行きたくなるものです。
歩くと2時間ばかりかかるので、バスで「川崎市岡本太郎美術館」に行って来ました。白いシンボルタワーである「母の塔」が、新緑の中に浮き上がっていました。
美術館は、川崎市の多摩丘陵の一角にある美しい自然の中に建っています。
7月2日まで「岡本太郎と太陽の鳥」が開催されています。岡本太郎と鳥との関連に着目して、その作品が100点近く集められた常設展です。
岡本太郎と言えば、よく知られているのが「太陽の塔」です。「太陽の塔」のモデルについては、諸説あるようですが、この展覧会では・・
「太陽の塔?あれはカラスだよ」
この言葉は、岡本敏子さんのエッセイ『太郎さんとカラス』2004年2月・アートン出版刊 の中に書かれています。
この本の序章の「太陽の鳥」で、岡本太郎は「私はときどき、この黒い鳥をじっと見つめる。いつか、自分の魂を太陽のもとに運びかえしてくれる生きもの。わが窮極の友である。」と書いています。岡本太郎にとって、鳥とは、天上と地上とを媒介する生きものだったのでしょう。
そのカラスの名前が「ガア公」です。
カラスを飼う経緯については、1959年、制作のため戸倉・上山田に通っていた時に、飯場の小父さんが、巣から落ちた子カラスを育てていたのを、頼んで貰って来たそうです(岡本敏子「カラス万華鏡」より)
会場には、自宅でカラスに餌をやったり、遊んだりした日々の写真や雑誌記事などが展示されています。
太郎は、カラスを飼っていたのではなく、一緒に住んでいたとも言っています。「ガア」公は、人に慣れてはいるが、決して媚びることもなく、毅然としているところが魅力だったようです。
「実にいい顔をしている。溶けるような優しさ。まったく無邪気に、ストレートに、素のままの岡本太郎になって、生きものであるカラスと向きあっている。」と岡本敏子さんが、楽しくカラスと遊ぶ太郎を語っています。
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横浜市内では「ハシブトガラス」と「ハシボソがラス」の2種類カラスがみられます。「ハシブトガラス」は、嘴が太く額が出っ張っり、鳴き声は「カアカア」と澄んでいます。「ハシボソガラス」は、嘴が細く、額がなだらかで、鳴き声は「ガアガア」と濁っています。
岡本太郎が飼っていたカラスの名前は「ガア公」です。もし鳴き声から付けたのでしたら「ハシボソガラス」ですが、本で紹介されているのは「ハシブトガラス」のようです。
ここで紹介するのは、家の周辺や黒須田川に、よく飛来するハシボソガラスです。
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帰宅途中、家の近くでいつもよりも騒がしい鳴き声が木々から聞こえて来ました。慌ただしく7~8羽が飛び交っています。カラスかと思ってカメラを向けると・・あまりにも美しい鳥なので驚きました。
最初は「インコ」が飼い主から逃げたのかと思っていましたが・・
調べると「ワカケホンセイインコ」だと知りました。
この鳥は、南アジア、西アシアアフリカ中部に生息していますが、ペットとして飼われていたのが、野生化した外来種でした。一部の地域では、糞と騒音で問題となっているそうです。美しい鳥だけに嫌われるのは残念です。
また黒一色のカラスも嫌われもののイメージが強いですが、よく見ると美しい色をしています。このような青みを帯びた黒色を「濡羽色(烏羽色)」と呼ばれ、万葉集の時代から黒く艶やかな女性の髪の毛を形容する言葉として用いられてきました。
カラスは、清潔な鳥とも言われ、水浴びの後では、また違った色を見せてくれます。
羽は「構造色」なので、太陽の光線の具合によって、黒の色が違って見え、カラスのイメージも変わってくるかもしれません。
カラスで忘れてはならないカラスがいます。日本神話に登場するカラスです。それは日本のサッカー協会のシンボルマークである「ヤタガラス(八咫烏)」です。その御社紋がヤタガラスである「師岡熊野神社」(横浜市港北区)を、後日、訪ねてみたいと思います。
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