登り窯2020(2)

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 新型コロナウイルスの影響で、いろいろなイベントなどが中止されています。

  今年の「登り窯まつり」も中止されました。

 しかし、今回はイベントではなく奥田製陶所として、毎年、行れている登り窯制作の一つとして行われます。そのため幟旗や看板も無く、関係者だけで行われました。

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 いつもの手順で取り進められました。

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 「胴木間」の内部です。

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 「2の間」に置かれた2本のゼーゲルコーンです。

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 窯主の奥田さんにより、焼成の安全と成功を祈願して、お酒で清めました。

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 関係者が見守る中、点火されました。この時はいつも緊張します。

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 これから3日間、火()の洗礼を受けます。

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 文人墨客の陶工・内島北朗著に『春風秋雨』(層雲社・昭和45年1月刊)という本があります。

 その中に「陶工の歌」という随筆があります。陶工が土堀から壺を制作、焼き上がるまでを歌(詩)にしています。

 「」について書かれた部分を紹介すると

「陶窯に火を放ちつつ言葉なくうずくまり見るの色を」

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「壺を焼くなみうちあふれ出る火の色はよし火の音はよし」

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「土よ土壷鉢となり今まさにをあびて生れんとするか」

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 また『陶工の楽書』(春秋社・昭和41年11月刊)では、今、ほとんど見ることが出来なくなった「風呂焚き」。その随筆の中で「」を・・

「・・というものは生きている。そのそれぞれの動きが、いろいろなリズムをもって流れる。焚口にうずくまる私は何か物語ってくれるようである。そして彼らは妙なる音を立てる。その音が一種の音楽のようにも聞こえる。歌詞のない音楽、いかにも自然なる歌なのである。」

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 「」をじっと眺めていると、そのゆらぎと乾いた薪の燃える響(音)には、癒しの効果があるようです。

 それは火を使い始めた昔から、の明かりと木々の燃える音は、人間が無意識の内に培った安心感のようなものではないでしょうか。

 (火)は、すべてを焼き尽くす恐ろしい力がありますが、その力は、新しいものを生み出してもくれます。

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