分け入っても分け入っても青い山
うしろすがたのしぐれてゆくか
これは種田山頭火(1882-1940)のよく知られた句です。
10月11日は、山頭火が亡くなった日です。
山頭火は、明治・大正・昭和を生きた自由律俳句の俳人で、58歳で亡くなっています。
俳句では、荻原井泉水の主催する『層雲』の門下です。
その同じ門下に文人墨客の陶工・内島北朗(1893-1978)がいます。
内島は、随筆の中で山頭火のことについて、いろいろと触れています。
『陶房』の中では、山頭火が倒れたことを聞き『山頭火は消ゆ~山頭火倒る』という文を書いています。
『・・死を聞いたときは、ガン・・と頭を打ちのめされた・・』と強烈な言葉で始まり、酒を飲みすぎたのかと思いめぐらし『・・名物男を一人なくしてしまった。大いなる損失であった。憎めない佳い老友であった・・特異の生活から産まれる特異の作品は、人々の心を突いたものであった・・』と思い出を絡めて山頭火の死を惜しんでいます。
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この『陶房』は、昭和17年(桑名文星堂)に発行された随筆集です。
内容は、旅行日記、陶房の出来事、展覧会の作品の評価や感想などが書かれています。
内島北朗は「柿」が大好きで随筆の随所に出てきます。『陶房』の最初の随筆「落書」の書き出しから「柿の味を愛するものは先ず柿の花を愛さねばならない」から始まり、「柿を訪ねて」「秋は柿」「おらが柿」と、柿について書いています。
「おらが柿」では「・・柿は天国の味と賞する、地上以上の味である」とまで言います。また「子供の時、柿の種子を割ると中に仏がある」と聞かされており「柿の種の形は崇厳さを持っているのではないか」と書いています。
今は、渋抜き種無し柿が多くなりましたが、日本における柿の歴史は古く、縄文、弥生時代の遺跡から柿の種の化石が発掘されています。またギリシャ語では「神の食べ物」という学名がついており、柿は神秘で崇高な果物のように思われてきます。
『陶房』以外の本にも、柿を礼賛した随筆があります。
私の本箱の中だけの紹介になりますが
「柿長者」 『泥中雑記』
「柿と蓑虫」 『陶工の楽書』
「柿食いの弁」『壺中随筆』
「柿の下」 『古陶の味』
この中で「柿の下」では、自宅の庭で穫れた柿を干し柿にして、それを陶器を干す板の上に並べ、その下で眠るのが楽しみだという。家族が板が折れませんかと心配すると、西行法師の「ねがわくば花の下にて死なん」に例えて「私は柿の下になって死んでも本望だよ」と答えています。
内島は尋常でない「柿」好き。
これほど柿が惹きつけるものは、何なのだろうか。その魔力的な味とは・・・。
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高枝や渋柿一つなつかしや
一茶『七番日記』
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紅志野盃
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