「蝶ひとつとばぬ日かげや石蕗の花」
という其角の句がありますが、華やかな紅葉の木陰で、ひっそりと咲いているのは石蕗(つわ)の黄色い花です。冬の代表的な花です。
名前の由来について諸説あるようですが「葉に艶のある蕗」からきています。
蕗の名がつくのは、葉の形が「フキ」に似ているからです。しかし「フキ」とは別の種類です。
一年中、濃い緑色をした光沢のある分厚い大きな葉。
若い葉柄は食用になります。
散歩していて、周りの花々が少なくなる中で、特に目立った特徴がある花ではありませんが、丸まった毬のような形は、なんとなく癒されます。
陽だまりの公園のベンチで座り、日陰で、けなげに咲く石蕗の花を見ていると
「さびしさの眼の行く方や石蕗の花」 大島蓼太
という句が浮かびます。
(注)大島蓼太(1718-1787)は、江戸時代中期の俳人で、一茶より45才年長であったが、同じ信濃の出身であったので、一茶とは何らかの関係があったと言われています。
「石蕗(つわ)の花」は海岸などで咲きます。「つわぶき」とも言い冬の季語です。
ちまちまとした海をもちぬ石蕗の花
一茶『七番日記』
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光沢のないのが「フキ」の葉です。
「石蕗」の由来を探ると「艶」という言葉をつかっています。それは「フキ」の葉との比較から、花ではなく葉から引用されています。
物にとって「艶」のあるなしは、大事な要素であると思います。
やきものは形、模様、釉薬、土味で表現する世界ですが、艶も大切な表現要素であります。釉薬には艶のあるものとないものがあります。
光のある釉薬も味わいはありますが、私は艶のある焼き物より、艶のない焼き物が好きです。それは土味がより深く表現できるように思うからです。
私は「光沢」を「テカリ」という言葉で表現したりしますが、光沢がありすぎると土の持つ味わいや質感を減少させるように感じます。
「物の味の中で、陶器の味は濡れた味だと思ふ。それは釉薬の光からくる感じでもあろうが、土それ自体のもつ深潤した味ひから来るものでもあろう」内島北朗著『陶房』より
黄瀬戸の盃
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