年越蕎麦

 この蕎麦は、神保町の古本屋街を訪れた時に、
よく食べに行く蕎麦屋さんの「もり蕎麦」です。

三田村鳶魚全集・第10巻 正月の食生活(中央公論社によると
『蕎麦を売り始めたのは享保の中頃で、それまでは蕎麦屋とは言わず
 饂飩屋だったが、宝暦あたりから蕎麦屋というようになった。
 蕎麦を、饂飩を入れる桶へ入れて持って来た・・・』
『・・蕎麦は皿盛りにするのが丁寧ですが、略して丼にした。
 皿盛りは天保まで残っていた。』と書かれています。

 今は蕎麦は茹でますが、昔は蒸していたようです。
今でも「蒸籠(せいろ)」に、盛りつけるのは、その名残りでしょうか。


 年越蕎麦は、江戸時代に定着した、歳末の日本の風物詩でもあります。
晦日に年越蕎麦を食べる由来については諸説あるようです。
 蕎麦は肥沃でない土壌でもよく育ち風雨に叩かれても、
その後の晴天で日光を浴びると元気になることから
健康の縁起を担ぐという説が一般的のようです。




 蕎麦の花



   痩山にぱつと咲けりそばの花   一茶     (『文化句帖』)
  




 
 健康説にあやかり、先日、制作した白磁の鉢(丼)で
「年越蕎麦」をいただき、新しい歳を迎えたいと思います。


 白磁大鉢




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