昨日、9月7日は、二十四節気の「白露」にあたります。
「白露」とは、この頃になると、秋気が進んで露を結ぶとされています。
白露の由来は、江戸時代(天明7年)の暦の解説書「こよみ便覧」の
「陰気やうやく重なりて、露凝りて白色となればなり」からきています。
また中国伝来の「五行説」では、秋は白とされています。
しかし「露」という言葉には、何か「はかないもの」というイメージが浮かびます。
一茶には「露」を詠んだ句が多くあります。
その中でも、一茶の愛娘「さと」を失った悲しみを詠んだ名句があります。
荻原井泉水氏は、『創作・おらが春』で、愛し子を失った一茶の悲しみを
次のように表現されています。
『・・一茶の涙はまぶたの外に流れ落ちるのではなくて、
かれの胸の中へ細い滝のようになって落ちているのだった。
そしてかれの口から、その悲しみが声のない声として出てきた。』
( 荻原井泉水著『創作・おらが春』新潮社35年刊の「さと女」より引用 )
露の世は露の世ながらさりながら
焼き物の絵付けで、露を表現する記号があります。
『そば猪口』(河出書房新社・昭和48年刊)の著者である料治熊太氏によると
そば猪口の図案に、点を三つ描いた記号が「露」の表現であると言われています。
『・・自然人である昔の日本人は、こんな簡素な記号で
心裏に宿った詩情の手だてとして露を表現せずにおられなかった』
(『そば猪口』 秘められた心を読む〜露の記号 )より引用
この猪口は、昨年の「世田谷ボロ市」で購入しましたが、
秋草に露が表現されているのでしょう。
露の異称として「月の雫」と呼ばれたりします。
私は雫の形が好きで「青磁雫形花入」を再録(2015.8.20)しました。