近代の陶磁器跡

 江東区発行の『史跡をたずねて』という冊子に紹介されている
「瓢池園陶磁器製造所跡」と「旭焼陶磁器窯跡」を訪ねました。
 その史跡の場所は、先日訪れた一茶の旧居跡の近く、
 江東区森下2・3丁目付近でした。
  現在は、当時の施設の跡は残っていませんでしたが
「森下文化センター」の隣りの公園に江東区教育委員会の案内板がありました。
   
              

 案内板によると、
  明治期、陶磁器は輸出品として注目され、新たな絵付けの技法が確立されました。
 その結果、輸出向けの陶磁器を製造する陶磁器工場と陶磁器窯が作られました。
 それが「瓢池園陶磁器工場」と「旭焼陶磁器窯」です。
  瓢池園では、絵付けに松などから採れるテレピン油を使用する納富方式を
 採用し、輸出用コーヒーカップなどの絵付けをしました。
  旭焼陶磁器窯では、近代窯業の父と言われるG・ワグネル博士が
 確立した絵付け法(釉下彩)などによって新しい陶磁器を作りました。

『 ワグネル等が旭焼を生み出した目的は、陶器の絵付けを大和絵や墨絵などの絵画を
  白い絹紙に描いたように、筆勢までも表そうとしたものである。・・・・
  素地や釉薬・顔料の研究を重ねたが、難しい問題が多く、たいそう苦心したという・・』
       (『江東区史・1997年版・コラム・旭焼のこと(白石和己)』より引用。

 明治30年頃まで、この地で活躍しましたが、後年、輸出陶器の製造地が
名古屋地方に移り、それぞれ愛知県に移転しました。

    

      案内板で紹介されていた作品は、モノクロでした。

             

  明治初期に開発された美しい「旭焼」を、私は写真でしか見ていませんが、
 機会があれば実物を見たいと思います。