今戸焼

 今回は、浅草駅から隅田川沿いに歩き「今戸焼」を訪ねました。
隅田川沿岸の窯業は、よい粘土に恵まれ、古墳時代後期から土器が生産されていました。
 また広重の「江戸名所図会」では、煙がたなびく今戸の瓦窯(だるま窯)が描かれています。
小林一茶もこの煙を見ながら歩いたのだろうか。

    

 今戸焼は、江戸から明治にかけて浅草今戸町を中心に
隅田川沿岸に栄えた江戸のやきものです。
 瓦や植木鉢、七輪、琺瑯など日常雑器などともに、
子供の玩具としての「土人形」も作られ、今戸人形と呼ばれ親しまれてきました。

 今戸神社は、1063年に創建され、イザナギイザナミの夫婦の神を
祀ってあることから「縁結び」のパワースポットとしても有名です。
 絵馬は真円形で「縁」と「円」の語呂合わたデザインとなっており、
本殿には2匹の招き猫が飾ってあります。
 招き猫の由来は、いくつかの説がありますが、当神社の近辺は、古くから焼き物が盛んで
土人形などが作られており、招き猫の発祥地ではないかといわれています。

 現在、よく見る「招き猫」は正面を向いていますが、
当初は「横座りで頭が正面向き」だったようです。

 『江戸末期に「招き猫」が売られていたという記録が残されています。
  浮世絵師・歌川広重が描いたもので、体を横に向け、右手を挙げています。
  「〇(まる)〆(しめ)猫」と呼ばれました。
   〇(まる)〆(しめ)とは、お金を節約して貯めるという意味です。
   この「〇〆猫」が、5年前、新宿の武家屋敷跡から発掘されました。
   現在、確認できる最古の「招き猫」で、粘土を素焼きにした土人形です。』
            2007/10/26放送:NHK(美の壺〜招き猫)のコメントより


              絵葉書より「〇〆猫(お尻には〇〆の印)」


   猫なくや中を渡る々角田川      (七番日記)


   江戸猫のあはただしさよ角田川   (七番日記)


 今戸人形は「型つくり」で制作されています。
江戸時代のものと伝えられている土人形の原型131点を白井家で保存されて来ました。


                         泥面子(鬼)

白井裕一郎氏によると
「この焼き物(鬼)は、江戸時代の素焼きの型から原型を作成し、
 それを粘土に詰めて形を写し、乾燥させた後に焼成
 その後釉薬をのせて仕上げています。」

 当時の子供たちが、泥面子をどう使って遊んでいたのでしょう。

 今戸焼の土人形は、関東大震災と戦災で約40軒あった窯元が、
今は白井家1軒となりました。
「今戸焼白井」を訪ねた時は、来年の干支作りで忙しい最中でしたが、
古い資料や原型などを拝見させていただきました。
 また作り方、粘土、彩色について丁寧な説明を聞き、
六代目・白井御夫婦の伝統工芸(玩具)への熱く深い思いを強く感じました。



   土人形もけふの祭に逢にけり   (七番日記)



  一輪挿土人形