先日、「七福神巡り」に行って来ました。毎年参詣しており、今回で連続20回目になりました。
今年は、江戸最初と言われる「元祖山手七福神」です。
江戸最初・山手七福神は、江戸城の裏鬼門守護のため、将軍の鷹狩りの際に参詣した「目黒の不動堂(瀧泉寺)」の参詣道筋に設置された江戸時代から続く、江戸最初の七福神巡りです。(案内パンフレットより)
「覚林寺」から廻るのは「無病息災・長寿」祈願、「瀧泉寺」から廻るのが「商売繁盛」祈願だそうです。
午前10時過ぎに、都営地下鉄白金台駅から「覚林寺」に向かって日吉坂を下りました。
【覚林寺】
毘沙門天(清正公)
目黒通りに戻り【瑞聖寺】へ向かう。
庫裏から眺めた大雄宝殿(国の重要文化財)江戸時代から残る仏教建築として貴重な寺院です。
8分ほど歩くと【妙円寺】へ
福禄寿尊と寿老人尊(白金妙見)
妙見堂内は撮影できませんでしたが、妙見大菩薩を中心に、寿老人と福禄寿が両脇に立っていました。堂には時代の雰囲気が残っています。
境内には、紅梅が開花して、参詣者に微笑んでいるようです。
大黒天
境内には、石像の七福神がありました。
「太鼓橋」を渡って・・
【蟠龍寺】
弁財天
岩屋弁財天
最後の【瀧泉寺】に向かう。
不動尊境内の弁天池の脇にある三福堂。
六つのお寺は目黒通り沿いにあり、お寺とお寺の間も10分前後で歩けます。周りは高層ビル群に囲まれて、昔の風情は、ほとんど残っていませんが、幹線道路の傍にしては境内は閑静で、ゆっくりと参詣できました。
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大黒も連に居るや夷講
一茶『文政句帖』
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七福神の発祥の地は日本で、室町時代末期頃から幸福を呼ぶ神様として庶民の間で信仰されて来ました。今も、お正月には、幸せを願い「七福神めぐり」をする人が沢山います。その「七福神の誕生」について知りたくなりました。
「七福神」については、多くの書物が出版されています。その中で『七福神の創作者』一色史彦著・三五館・2007年6月刊 という本を読みました。著者の一色史彦さんは、建築文化史家で全国七福神連合会顧問ですが、古寺社建築の専門家でもあります。
「七福神を、誰が、いつ創り出したか」を。永年の研究から、七福神が生れて来た時代・文化の背景と禅僧一休(1394-1481)さんの漢詩や歌などから推論し「七福神の誕生には「一休さん」が深く関わっていること」に確信したと書かれています。その解明には、分かりやすい文で、一休さんと七福神の関係が書かれています。一方で文化財の保護についても、貴重な提言をされています。
七福神の起源ついては、他にも説があるようです。
絵本や童話などで、よく知られている頓智一休さん、数々の逸話もあり、七福神に関わっているのだと思うと、一休さんへの親しみがより深まるように思います。
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