菊株の湯気を漂ふ羽虫かな
この句は、宮沢賢治の俳句です(石寒太著『宮沢賢治の全俳句』より)
霜が解けて、その湯気の中に小さな虫が飛び立った。冬の朝によく見かける光景で、厳しい寒さの中に小さな生命の躍動を感じさせてくれます。
大雪も過ぎ、冷え込む日々も増えました。
私の住んでいる所は、まだ霜が降りるほどの光景は見られませんが、小さな虫たちを見ることは少なくなりました。この日は、暖かい日差しの場所を求めて飛んで来た羽虫を見つけました。
「羽虫」は、童話『よたかの星』に登場します。「よだか」は、この羽虫を食べることの罪悪感で、遠くの空に行きたくなります。そして願いが叶い星になりました。
この「よだか」は「カワセミ」と「蜂すずめ」のお兄さんという設定になっています。「蜂すずめ」とは「鳥の中の宝石のような」という表現がされているので「ハチドリ(蜂鳥)」のことでしょう。
「ハチドリ」は鳥類の中で最も小さいグループに入り、羽ばたきが速く、ホバリングして花の蜜を吸います。羽ばたきが蜂と同じ羽音を立てるので「蜂鳥」と名づけられたようです。「ハチドリ」は、日本には棲息していないようです。
当時の賢治は、この鳥をどうして知ったのでしょうか。『黄いろのトマト』の冒頭で町の博物館のガラスの戸棚に剥製の4匹の蜂すずめがいたと書かれていますので、賢治は博物館で見たのでしょう。私は「ハチドリ」は写真と絵でしか見ていません。『宮沢賢治の鳥』国松俊英(文)・舘野鴻(画)岩崎書店では、鮮やかで美しいハチドリが描かれています。
「蜂すずめ」は『十力の金剛石』にも登場します。この「蜂すずめ=ハチドリ」は、時には異次元と現実の世界の媒介所の役目をしているようです。
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この「ハチドリ」の動作が似ていて見間違われたのが「ホウジャク(蜂雀)」です。
散歩中によく見かけ、最初は「蜂」ではないかと思いましたが「蛾」だと知って少し驚きました。その時の「ヒメクロホウジャク」です。
「ホウジャク」は、スズメガと呼ばれる蛾の一種です。昼行性で昼間に活動をします。「ハチドリ」と同じように、早いスピードで羽ばたきながら、空中で静止して長い口吻で吸蜜します。
宮沢賢治の童話では、鳥がよく登場しますが、虫については少ないようです。蛾が出て来るこんな詩があります。
(前略)
ぼくはあかりを消してゆく
つけっぱなしにして置くと
下台じゅうの羽虫がみんな寄ってくる
・・くわがたむしがビーンと来たり
まるで鳥みたいな赤い蛾が
ぴかぴか鱗粉を落したりだ・・
(中略)
家がそっくり昆虫館に変ってしまう
・・もうやってきた ちいさな浮塵子
ぼくは緑の蝦なんですというように
ピチピチ電燈をはねている・・
(後略)
「来訪」より
『宮沢賢治詩集』(角川文庫)
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作家で詩人の三木卓さんの本で「蝶」と「蛾」にまつわるエッセイ『蝶の小径』幻戯書房・2007年7月刊があります。
こんなに多くの蛾や蝶が出てくるエッセイは初めてです。日常の散歩で出会う鳥や小さな虫たち、木や草花を細かく観察され描写されています。読んでいると私も同じように散歩しているよう気分になり、知らない虫の名前が出ると図鑑で調べています。
印象に残ったのは「蛾」について「・・(前略)蝶にくらべると(中略)蛾の方がはるかに広くかつ深くわたしを刺激する。蛾はしばしば醜くそして野卑ですらあるが、同時に蝶よりはるかに神秘的で、ときには戦慄的ともいうべき美を孕んでいる。心の深層に働きかけくる力が強い(後略)・・」(168頁より)
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著者は散歩中に写真を撮られていたようですが、この『蝶の小径』には、一枚も写真が出て来ません。
私が黒須田川の遊歩道の付近で見つけた「蛾」の写真です。撮った蛾の数は少ないですが、その中から紹介します。エッセイにも出てきた「ユウマダラエダシャク(夕斑枝尺)」です。
この黄色い「ツマグロオオヨコバイ(褄黒大横這)」は、三木卓さんは嫌いな虫だと書かれていました。
「蝶」・・?「蛾」・・?
蛾の中で一番美しいと言われる「オオミズアオ(大水青)」です。
「蜻蛉」・・? 「蛾」です。これが蛾と思えるでしょうか。「カノコガ(鹿の子蛾)」といいます。
ほとんどの人は「蝶」は好きです。しかし「蛾」は、嫌らいな人が多いようです。学術上は同じ鱗翅目です。日本では蝶と蛾を分けて見ていますが、区別をしていない国もあります。
蝶は約300種、蛾は5000種と蛾の方が多いですが、蛾は夜に活動するので出会う機会が少ないので好きになれないのかも知れません。でも美しい蛾も沢山います。
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