虫のこえ

 玄関の明かりの下に闖入した虫。

 全身が美しい緑色をした虫で、体長は6cmほどです。

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 調べるとキリギリスの仲間の「サトクダマキモドキ(里擬管巻)」ではないだろうか。この虫は夜行性のため明かりに寄って来るようです。「チッチッ」と小さな声で鳴くそうですが、周りの騒音に消されてほとんど聞こえません。

 この「管巻」とは、鳴き声が機織りの紡車を巻く音に似ていることから呼ばれるようになったそうです。

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 虫たちは夏頃から鳴き始めます。夜に限らず、昼間でも散歩していても聞こえることがあります。秋の彼岸を過ぎると虫の奏でる個性的な音色は、なんとなく侘しさを感じるものです。

 昔から秋の虫の鳴き声は、感情だけでなく暮らしとも深い関係があるようです。

 一茶は、こんな句を詠んでいます。

 つづれさせ入らざるせわをやくざ虫『文政句帖』

 つづれさせ(綴刺)とは、衣服の破れを直すことで、秋の気配を感じるコオロギの鳴き声を聴くと冬支度をしましょう。江戸時代の人は、虫の鳴き声も生活の中に取り入れていたのでしょう。「つづれさせ」は「コオロギ」のことです。

 昔は「コオロギ」という名を鳴く虫全般に使っていたようで、今の「コオロギ(蟋蟀)」を「キリギリス(螽斯)」。そして今の「キリギリス」を「ハタオリ(機織)」と呼んでいました。少しややこしく混乱はなかったのでしょうか。

 参考に一茶の句集を調べてみると、コオロギは24句、キリギリスは100句以上、ハタオリは11句ありました。鳴き声を聴き分けて詠まれたのでしょうか。

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 また「キリギリス」が「コオロギ」に変更されたものもあります。よく知っている唱歌・童謡に「虫のこえ」です。昭和10年に、歌詞のキリギリスがコオロギと変わりました。変更の理由は、キリギリスは夏の虫。キリギリスはキリキリとは鳴かない。古語のキリギリスは、今のコオロギを意味するからだそうです。しかし俳句ではキリギリスは、秋の季語になっています。

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 大正~昭和時代に「コオロギ博士」と言われる人がいました。昆虫学者で随筆家の大町文衛(1869-1925)です。

 その著者の『日本昆虫記』講談社学術文庫・昭和59年6月刊)は、身近な虫たちの生態についての興味深い内容を歳時記風に紹介しています。文章も読みやすく詩的で虫好きを愉しませてくれる内容です。

 「鳴く虫」の中で、一番美しい声でメロディを奏でるのは、コオロギとキリギリスの仲間だそうです。翅と翅を擦りあわせて出すので、コオロギを「提琴家」と表現しています。提琴家がヴァイオリンの絃に弓をあてて音を出すのと同じ原理だそうです。秋の鳴く虫は、思い思いの形の楽器を持った提琴家たちです。その小さな楽士たちの奏でる独特の音楽を聞くのが心から楽しいと述べられています。

 10月11日は『昆虫記』で知られているファーブルが亡くなった日です。

 大岡信訳の『昆虫記(上)』河出書房新社・1992年12月刊)の「コオロギ」を読むと、美しいメロディが奏でられる原理を、図もなく詩情豊かな文章だけで詳細に書かれています。

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 先日、古書店で、絶版になっている大町文衛著の『蟲・人・自然』甲鳥書林昭和16年12月刊)を見つけました。

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 函入りでしたが、昭和16年発行のため痛んでいました。私の生れた年の発行ですので80年前の本です。内容は3部の構成で、その第1部がコオロギを含め愛に溢れた虫の世界を綴ったエッセィです。昆虫が今より生活の身近だったころの日常が感じられる話などは、少年時代の世界を追懐させてくれます。 

 また「秋の虫」の話の中で、一茶の句について触れられていました。『八番日記』の中にある「こほろぎのころころひとり笑ひ哉」という句だろうと思います。「ころころ」と鳴くのは、よく見られる「エンマコオロギ(閻魔蟋蟀)」でないかと思います。

 この「笑ひ」について、大町さんは「一茶はその声を笑ふと感じたが自分にはどうしても笑ふとは思えない」と述べています。

 この句は、文政3年9月、一茶58歳の頃に詠まれたものです。江戸で名を上げられなかったこと、愛娘を失くしたこと、いろいろな家庭の状況などが重なっていました。秋の深まりとともに、更にやるせなさ、淋しさが深まり一人苦笑いをして虫の声を聴いている、そんな一茶の姿が浮かんで来ます。

 こんな句も詠んでいました。

 こおろぎのうち懐になく夜哉『化五六年記』

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 秋の虫の鳴き声から感じる思いは、人それぞれに違った鳴き声に聞こえるのでしょう。その秋の虫も、今はペットショップやネットでも購入することが出来ます。

 虫の声を聴く文化は、日本人の心の奥に残っているようです。この日本特有の文化は、これからも続いて欲しいと思います。

 コロナ禍も一段落し、静かに虫の声を聴く日も多くなりそうです。

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