本箱(17)

 今日、7月30日は、児童文学者・新実南吉の生れた日です。

 小学校の国語の教科書に載っている「ごん狐」の作者として知られています。

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 この本は、10年ほど前に古書店で見つけたのではないかと思います。

 発刊されたのは、新実南吉が亡くなった半年後の1943年(昭和18年)9月です。

 新実南吉(1913-1943)は、喉頭結核により29歳7ケ月の若さで亡くなっています。

少国民文藝選」と書かれているように、南吉の生きた戦時体制下、そして4歳で母を亡くし育った生い立ちと郷土などが物語の背景にあります。しかし物語には教訓とユーモアが溢れ、読んだ人の心に素朴な温もりを感じさせてくれます。

(注)「少国民」とは、次の時代を担う年少の国民、すなわち児童の事で、現在は死語となっています。

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 『花のき村と盗人たち』には、民話風の童話が7つ載っています。「ごん狐」含めて処女作の「正坊とクロ」も入っています。

  その中の『花のき村と盗人たち』は、5人の盗人と子どもたち、そして老村役人が織りなすユーモアのある出会いを通して、盗人たちが改心する物語です。

 この「花のき村」という美しい題名については、『南吉童話の散歩道』小野敬子著・中日出版・平成4年7月刊によると、南吉が安城高等女学校の教諭の時に通った道筋の小字名で「郷土の人々に愛の架橋をかけたいとい南吉の悲願が実を結んだのである」と書かれています。

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 本の装填、挿絵の版画は谷中安規の作です。谷中安規(1897-1946)は、昭和時代前期の版画家・挿絵画家で、49歳の若さで亡くなっています。

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 「ごん狐」は、南吉17歳の時に執筆されました。多くの子どもたちは、絵本で、そして教科書などで、よく知っている物語です。 一人ぼっちの悪戯好きの「ごん」は、最後に「兵十」の鉄砲で撃たれて死んでしまう悲しい物語です。

 この話にはモデルがあったのではないか。と言われますが、小野敬子さんによると、前著書の中で

「ごん狐」は南吉その人、「平十」は父親ではないかと思われてならない」

と書いています。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」

ごんは、ぐつたり目をつぶったまま、うなづきました。

 この「うなづき」は、一人ぼっち同志の父と子の心が通い合った姿のようにも思われます。

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 この最後の「ごんのうなづき」については、さまざまな受け取り方があるようです。      

 読者は、主人公の不幸を悲しみ、ごんの気持ちに同情を抱くのは当然です。しかし、人生経験を積んだ大人になってから読むと「ごんの気持ち」と「兵十の気持ち」の両方を想像することになります。

 正義を貫いたつもりでも、失ってしまった愛。残された「兵十」の心のどこかに残る精神的な苦悩。この悲しい物語は、人の心の深み、傷みに触れることになります。

 児童文学は、子供の時に読んで見える世界と、大人になって読んで見えてくる世界があるように思います。

 新実南吉の描く物語には、現在、生きることへの多くの示唆を与えてくれているように思いました。他の物語も読み直して見たいと思います。

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 子どもらが狐のまねも芒かな

       一茶『八番日記』

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