先日、横浜市歴史博物館で開催されている企画展『縄文ムラの原風景』を観に行って来ました。
横浜市営地下鉄センター北駅を出ると、特徴のある青い三角屋根の歴史博物館が見えます。
神殿を思わせる大きな柱には、「世界文化遺産登録勧告」の大きな幕が掲げられていました。
この企画展の開催の期間中(4/10~6/27)に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、世界文化遺産に勧告されました。
私は、以前から応援していましたので大変嬉しかった。登録は、7月中旬の世界遺産委員会で正式に決定されるそうです。
館内のポスターにも、お祝いの赤い紙が貼られています。
企画展では、縄文遺跡群の一つである「御所野遺跡」が紹介されていました。
「御所野遺跡」は、岩手県一戸町にある縄文時代中期後半の800年間続いた縄文のムラの遺跡です。
企画展は、縄文人の活動を、残された情報・資料や遺物とともに、自然とともに生きた縄文人の生活と文化が「縄文ムラの原風景」として紹介されています。
この遺跡は、北は北海道南部、南は山形県、福島県まで広がる地域に位置し、南北の文化の交流が伺える遺跡でもあります。
展示されている遺物の中で、特に私が興味があったのは・・
土器と紹介されている「羽付き縄文人」です。
私は「板状土偶」の一部か?と想像したのですが、これまでに発見された板状土偶の形状とは、少し違うように思います。やはり何らかの土器の一部分なのかもしれません。
顔や動物を描いた土器は、よく見るのですが、この「羽付き縄文人」が描かれた土器を観たのは初めてでした。
特徴は、人の頭に羽飾りを付けています。どんな鳥の羽の飾りだったのだろう。また羽を付けた人はどういう人だったのだろう。
どんな形状の土器なのか?記載がないだけに、想像を膨らませてくれる土器です。
縄文時代、鳥は貴重な食料でありました。貝塚から出土される鳥の骨は、キジ類とカモ類が多いそうです。しかし狩猟獣のシカやイノシシに比べると少なく、食料としての価値より、矢羽などを利用する目的があったのではないかと思われます。
縄文人は、自由に空を飛翔することが出来る鳥への憧れ、渡り鳥のように移動(運んだり、隠れたりできるなど)する鳥に、神秘性や精霊を感じたのでしょうか。数多くの動物の中でも、鳥は神に近い特別な存在として認識され、信仰(精霊が宿る)の対象でもあったようです。
人間は食べ物を自然から得ています。食べ物をもたらしてくれる海や山の生き物などには精霊が宿っている、その精霊と現世を繋ぐ人(シャーマン・祈禱師)が存在して、その祈祷場所に、この土器が置かれ、何らかの役目をしていたのでしょうか。
「古事記」にも様々な鳥が出て来ますが、縄文の人々の信仰と繋がっているように思います。
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この鳥は、黒須田川によく飛来する「コサギ」です。
夏ごろになると、頭の後ろに長い2本の羽が生えてきます。「冠羽」といいます。 他にも、このような「冠羽」を付けた鳥は多くいます。
お洒落な羽ですね。
「羽付き縄文人」土器は、神聖化された土器と思われますが・・
サギの「冠羽」を想像しました。
また素人の独断で、更に想像を膨らませて見ました。
「憧れの鳥に似せたファッション?」
それとも
「鳥狩猟の名人の証し?」
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