久し振りに三重県に帰省し「やきもの」に関係する場所を2つ訪れました。
この新緑に囲まれた広い公園は、三重県多気郡明和町にある史跡「水池土器製作跡」です。
奈良時代の工人集団の遺跡です。
この遺跡の特徴は、土器生産に伴う一連の行程に関する施設が揃っていることです。
明和町文化観光課の資料によると
「 この二等辺三角形の遺構は「土師器焼成坑」と呼ばれ、
土器の中でも「土師器」を焼くための窯で、
屋根はなく、藁と泥土を被せた覆い焼きによって
焼かれたと考えられている 」
現在も明和町明星には「有爾(うに)」という地名があり、
この「うに」は、土器を表す「はに」がなまったものと考えられており、
土器を作る専門の人たちが住んでいたと考えられています。
この地域では伊勢神宮に土器(神聖な土器)を奉納していたようです。
現在でも明和町蓑村の「土器調製所」では、様々なお祭りに使用される
素焼きの土器がつくられています。
もう一つは、伊賀焼のふるさとである丸柱にある「国登録有形文化財」である登り窯です。
この登り窯は16の部屋があり、江戸時代・天保三年(1832年)の創業から
昭和40年代(1970年代)まで稼働していたそうです。
現存する登り窯では、この窯が一番大きいものです。
訪れた時は、この窯を100年以上、見守ってきた桜は散り始め、葉桜になりつつありましたが、
窯の壁の石組みや泥土の罅に、長いやきものの歴史と職人たちの思いや願いが
染み込んでいるようです。
私は故郷を離れて50年以上になり、お世話になった師、親しかった友も、今は・・・
また故郷の風景も大きく変わり・・・思い出だけが錯綜してきます。
さまざまの事思い出すさくらかな ( 芭蕉 ) 「笈の小文」より