この白い果実の名前は「雀瓜」と言います。
散歩中、少し湿気の多い雑木林の日陰に生えているのを見つけました。
つる科の植物で、茎は細く、他のつる植物と絡み合って伸びています。
春先には白い花を咲かせます。果実は、若草色から成熟するとだんだんと白くなります。大きさは雀の卵に似て1~2cmほどです。
「雀瓜」という名前は、この実を雀が食べるから付けられたのではなく、この実の大きさが「カラスウリ」よりも小さいことから、例えとして「スズメウリ」と名が付けられたようです。「雀」という表現は、小さいことを表すときに使われるようです。
この雀瓜の葉っぱの形は、綺麗なハート形をしていますが、花言葉は「いたずら好き」・・。葉っぱではなく蔓のことだそうです。
葉脈もはっきりしていて美しい葉です。
他に雀という名が付けられた植物は、身近に沢山あります。例えば「雀のエンドウ」「雀のカタビラ」「雀のテッポウ」「雀ヤリ」などは、道端や公園でよく見かけます。野草に烏や雀の名が付けられたのは、人里の鳥として親しまれているからだと思います。
俳句では「雀」だけでは季語でなく「雀の子」「雀の巣」「雀隠れ」などと表現して使われます。
それ以外にも暮らしの歳時記の中に雀を使った言葉があります。それは七十二候の一つ「寒露」の第二候「雀大水に入りて蛤となる」です。
古代中国では、雀が晩秋になると海辺で群れて騒ぐことから、化けて潜物(蛤)となると信じられていました。雀の翅の色と蛤の模様が似ていることから、そう言うようになったのでしょう。
これから寒くなると、雀の数は少なくなります。時々、木や石垣に止まっている雀を見かけると丸くなっており、蛤のように見えます。
現在は、この季語は絶滅寸前の季語ともいわれて『絶滅寸前季語辞典』(夏井いつき編・東京堂出版)に入れられています。
この季語は「季節を伝える」というよりも「モノゴトが変化する」という例えに使われているようです。
宇江佐真理さんの本『深川にゃんにゃん横丁』(新潮社刊)に「雀、蛤になる」という話があります。
この物語は、お江戸深川にゃんにゃん横丁で、大家さんを中心に展開される人間模様が描かれています。
長屋の家主は、俳句が好きで季節ごとに短冊を飾ります。そこに一茶の句「蛤になる苦も見へぬ雀哉」が飾られました。句の意味もよく解らずに日々の暮らしをする長屋の人々たち・・亭主が亡くなりやむなく亭主の弟に嫁いだり、三角関係のもつれで駆け落ちと・・日々の生活にいろいろと変化が起きて来ます。それは蛤にならざるを得ない切なく悲しい人間の暮らしなのかも知れません。
そして最後に、大家は・・一茶がこの句を詠んだのは・・「何か哀れを催すようなことが一茶の周りに起きたのではないか」と・・
この句は『八番日記』に載っています。『八番日記』は、一茶57~59歳の時の日記で、この時期は江戸の生活から郷里に帰り、結婚し愛児さとが生れ、穏やかな生活を送っていました。その愛児さとを2歳で亡くします。次の子も亡くします。一茶にとっては、これまでにない大きな哀しみに変わった時代でした。
一茶56歳以降に初めて、この季語を使っており、一茶の生き方、考え方にもなんらかの変化が現れてきたのではないだろうか。
他に、こんな句も詠んでいます。
蛤にとくなれかしましい雀
蛤に成もまけるな江戸すずめ
人は塚に雀蛤と成りにけり
『風間本八番日記・文政4年9月』より
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酒器(蝋抜き)
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