句碑散歩(17)

 今回は、茨城県石岡市にある「板敷山大覚寺」の一茶の句碑を訪ねました。

 北関東道を降りて、県道64号線を石岡市の方向に走りました。

 車の数も少なく山間の道路を、のんびりと約15分ほど走ると、大覚寺の入口を示す白い案内板が見えてきました。

f:id:kanamankun:20200217154043j:plain

 その案内板の傍に石碑があり、そこには「人喰橋」と書かれていました。

f:id:kanamankun:20200216222717j:plain

 この石岡市八郷地方には、いくつかの伝説があり、その一つに「大蛇と親鸞の伝説」があることを知りました。

 その伝説によると、約800年前、ある農夫の妻が嫉妬心によって人を食う大蛇の身となり、池に棲み付いて近くを通る人を食べ、住民を困らせていました。しかし上人によって大蛇は済度されたということです。その後、人食いの大蛇がいた付近に架けられた橋を「人喰橋」と呼ばれました。今は、その池はありませんが、少し離れたところに蛇塚(念仏塚)の碑が残っていました。

f:id:kanamankun:20200217154200j:plain

 参道の石門を潜り、少し登ると板敷山を背にして白壁が見えて来ます。 

f:id:kanamankun:20200216222602j:plain

f:id:kanamankun:20200216222931j:plain

 「板敷山大覚寺」です。

f:id:kanamankun:20200217154535j:plain

 大覚寺親鸞ゆかりの浄土真宗の寺です。1221年、周観大覚の創建といわれ、当初は山の方にありましたが、その後、現在地に再建されましたが焼失。現在の本堂は1866年に建立されました。

 この寺は「親鸞聖人関東教化中の法難の遺跡」として有名で「山伏弁円と親鸞」の伝承があります。

 以前に購入した『筑波風土記~愛憎の峠~中村ときお著・崙書房昭和49年5月刊にも、その伝説が書かれていました。

 その内容は、弁円は親鸞の布教に人が集まり、自分の修験道が寂れていくのを悔しく思い、板敷峠で待ち受けして暗殺しようとしたものの、親鸞の徳さに敬服し、悔悟して浄土真宗の僧侶となりました。峠の一角に弁円懴悔の歌碑があります。

f:id:kanamankun:20200217154459j:plain

 寺門を入り、石段の左側に大きな石がありました。

 これが一茶の句碑です。建立は昭和38年で、少し風化して文字は読みにくいですが、歴史の重みを感じさせてくれました。

f:id:kanamankun:20200217154809j:plain

 秋の夜や祖師もかような石枕 
         一茶『八番日記』

 (注)『八番日記』は、文政2年(1819年)から)文政4年(1822年)の3年間の句日記です。

f:id:kanamankun:20200217154913j:plain

 「祖師」とは親鸞上人のことです。「石枕」とは親鸞が枕にした石です。

 この句は『八番日記』の文政3年7月に、前書きに「板敷山の麓に臥して」と書かれています。

 一茶の家は浄土真宗門徒であり、一茶にもその影響があり、40代後半から亡くなる65歳まで念仏者の視点から詠んだ句が多くあります。

 この句を記した時は、一茶58歳で信州柏原で生活しており、以前に訪れたことを思い出して記されたのかもしれない。 

f:id:kanamankun:20200217214831j:plain

 境内には、桂離宮を模した石岡市指定の名勝「裏見無しの庭」があり、回遊式でどこの角度から見ても裏がないことから、この名前になったそうです。

 「恨みなし(裏見無し)の庭」とは、弁円物語のシンボルのように思います。

 訪れた日は、寒く氷が張っており、美しい花々が咲いた庭園の景観ではなく残念でした。

f:id:kanamankun:20200217214901j:plain

 また本堂の屋根の瓦が、以前は青い瓦だと言われていましたが、今は「いぶし瓦」になっていました。

f:id:kanamankun:20200217155121j:plain

 色は変わっても、その美しい佇まいは変わらないように思います。

f:id:kanamankun:20200217234052j:plain

 山門を出る時、登山道に建てられた風力発電の塔(2基)が、西陽を受けて輝いて見え、時の流れの速さを感じました。

f:id:kanamankun:20200217214702j:plain

   *

f:id:kanamankun:20200214113336j:plain

     *

     *