朝夕、吹く風も肌寒く感じられる季節となりました。
この頃に眺める月は、特に綺麗に見える様に思います。
秋になると月が綺麗に見えるのは、この時期になると
空気中の水蒸気が少なくなるために、くっきりと見えるからです。
一茶は「月」について、多くの句を詠んでいますが
『おらが春』の中では「皆既月食」について書いています。
きっと月食の原理を知っていたのでしょう。
月蝕皆既 亥七刻右方ヨリ欠、子六刻甚ク、丑ノ五刻左終。
人数は月より先へ欠にけり
また『風間本八番日記』にも月蝕皆既について、同じ句があり、
そして、その後の月蝕の様子を詠んでいます。
もとの名月となりにけり明けにけり
*
*
10月21日(日)は「十三夜」です。
十三夜は「栗名月」とも言われます。
栗が採れる頃なので、そう呼ばれるようです。
工房の庭で「十三夜」の月を撮影していたら、
突然、カメラのフレームに赤蜻蛉らしきものが現れ、
無意識にシャッターを押していました。
良く見ると小型の飛行機です。
10月22日(月)
工房は、蜘蛛たちの城となっています。
この女郎蜘蛛は、しっかりと月を獲らえています。
10月23日(火)
この日は雲が多く、期待は出来ませんでしたが・・・・
5分後、雲の途切れた時に顔を出してくれました。
数時間後には、また暗雲に取り込まれました。
[
2018/10/23 17:48 撮影
10月24日(水)
前日に比べるとほとんど雲がなく、綺麗な姿を見せてくれました。
この月の明暗模様は、いろいろな動物、人の姿や物などを
想像させてくれます。
子供たちが取ってみたくなる気持ちが分かります。
明日、10月25日は「満月」です。
『おらが春』には、良く知られている句
「名月を取ってくれろと泣く子哉」があります。
『七番日記』では
「あの月をとってくれろと泣子哉」
と云う句形でも詠んでいます。
*
*
観月の名所の一つとして 長野県千曲市の姨捨山(田毎の月)は、
よく知られています。
先月、一茶の故郷信濃を訪ねた時、悪天のため姨捨山(冠着山・1252m)が
見えず残念でした。
この姨捨山に、一茶は3度ほど登ったようです。
『梅塵本八番日記』によると
文化六年(47歳)十五夜に、村松春甫と登っています。
前書きに
姨捨などゝは老足むづかしくて
有合の山ですますやけふの月
(注)松村春甫(1772-1858)江戸時代後期の俳人で絵師。
一茶の門人で狩野派の絵を学び、一茶の肖像をほとんど描く。
*
*
*
*
*
*
*
*