今回は、松戸市と流山市にある句碑を、電車と歩きを交えて訪ねました。
この松戸、流山は、一茶の俳友やパトロンが多く住んでいました。
一茶は、第二の故郷として、度々訪れています。
自宅から2回乗継ぎ正午過ぎ、新京成電鉄の八柱駅に到着。
県道281号線を、五香駅の方向に歩き「子和清水」を訪ねました。
松戸市常盤平周辺は、幕府直轄の牧場があったことによるのか
「けやき」「とうかえで」「やまもも」「はなみづき」「ゆりの木」
「さくら」「えんじゅ」と、木の名前の付いた通りがたくさんあります。
県道を5分ほど歩いて、驚いたのは街路樹です。
先日の台風24号による塩害で銀杏の木の南側半分が涸れています。
「塩害は海岸線に近いところが被害を受ける」と思っていましたが、
この自然の脅威に、これまでの常識が覆されました。
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「子和清水」交差点(松戸市常盤平)の情景です。
塩害で、クスノキの葉は赤茶けていました。
こんなに酷い被害を受けているとは思いませんでした。
しかし松は塩害に強いようです。
母馬が番して呑ます清水かな 一茶 (『八番日記』)
この句碑の隣に「子和清水之像」があります。
各地にある子和清水の伝説「清水が、お酒に変わった」が
松戸にも残っており、この辺りに泉があったそうです。
その養老伝説となった湧水池は、昭和30年代まで
豊富な湧き水が出ていました。
しかし周辺の開発により枯れてしまったようです。
また県道281号線は、江戸時代、銚子にあがった魚を江戸へ
運ばれる陸路で「生(なま)街道(鮮魚街道)」と呼ばれました。
その途中、この子和清水で魚の鮮度を保つために、この泉の水を
掛けたと言われています。
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来年は綺麗な紅葉になるように祈りつつ、
新八柱駅に戻り、JR武蔵野線に乗車。
「南流山駅」で下車し、流山市役所に向って歩きました。
江戸川の土手(手前の雑草は、セイバンモロコシ)
途中、一茶双樹記念館に立ち寄り、江戸川の土手で休憩。
1時間かかって流山市役所に到着しました。
この句碑は、流山市と信濃町との姉妹都市を記念して、
平成9年5月、信濃町から寄贈されました。
ゆうぜんとして山を見る蛙哉 一茶 (『七番日記』)
帰りは、1916年(大正5年)に開業された流山鉄道を利用。
車輛一台ごとに愛称があり、私の乗ったのは「若葉」でした。
松戸市には、もう一つ一茶の句碑があることを帰宅後知りました。
平成21年11月に日暮消防センターの隣地に建てられたそうです。
再度、松戸を訪ねたいと思います。