3月ですが、季節外れの暖かな花曇りの日でした。
常磐自動車道の土浦北ICを降りて、国道125号線を下妻方面に走りました。
車中から見える筑波山は、春霞で少しぼやけて見えました。
かりそめに出て霞むやつくば山
一茶『文化句帖』
山桜は満開を過ぎていましたが、山裾は霞の中に淡い紫色をしていました。
「筑波山」は「紫峰」「紫山」とも呼ばれています。
芭蕉は『鹿島紀行(鹿島詣)』の中で「雪は申さずまずむらさきのつくばかな」という服部嵐雪(1654-1707)の句を引用して、筑波山の美しさを誉め称えています。
筑波山の標高877mで、それほど高くはありません。山は男体山(841m)と女体山(877m)の2つの峰からなっています。
国道125号線から県道14号線に入り、そして県道42号線を筑波山方面に走りました。
目指していた「ガマ公園」は、移設されたと聞いていましたので、筑波山駐在所の前で停車し、場所を確認しようとすると・・その目の前に「ガマ公園」の石の碑がありました。
この場所は、筑波神社の大鳥居に行く途中にある駐車場で、入口の所に一茶の句碑がありました。
「がま公園」は、以前は筑波山梅林の西側に隣接してありましたが、2007年に閉園となり、この地に移設されました。
雲を吐く口つきしたり引蟇
『おらが春』より
以前のガマ公園では、この句碑の隣に大きな石のガマが並んでいたようです。
そのガマは、この場所には移設されていませんでした。
*
このヒキガエルは、私の工房の軒下で見つけた「ニホンヒキガエル」です。
「筑波山のガマ」といえば「ガマの油売りの口上」はよく知られています。
「サアーサ、お立合い・・」と有名なセリフ・・私も小さい時に路上などで、この口上を聞いた記憶があります。
霊山・筑波山でしか捕獲できないという「四六のガマ」とは・・足の指の数のことで、前足の指が四本、後ろ足の指が六本、合わせて四六ガマ」と、足の指の本数が違うそうです。
よく見かけるアマガエルは、手の指が4本、足の指は5本です。
ここからは、北條方面の長閑な田園風景が眺められました。
句碑の正面には筑波山が迫って来ています。
この句碑から少し下り、左に曲がり狭い県道139号線を走り、突き当りが西山通りです。舗装されたなだらかな登坂で、その先には筑波山が見えます。
ここで車を止めて歩きました。傍には正岡子規の句碑がありました。
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
この句は明治27年に、東京から筑波山を眺めて詠んだと言われています。
子規は『水戸紀行』の中で「つくば山」について数句詠んでいます。
*
この西山通りを少し下ると「つくば道」と交わる三叉路に出ます。ここから急な坂道(舗装されている)を、筑波神社の方向に10mほど登った所に一茶の句碑がありました。
残念ながら水仙は枯れていましたが、ショカッサイが彩ってくれていました。後方に見えるのが筑波山です。
一茶は、水仙が咲いている頃に、この道を登ったのだろうか。
水仙や垣にゆひ込むつくば山
この句は『自筆句集』の中にあります。
『七番日記』では
冬枯や垣にゆひ込むつくば山
となっています。
*
筑波山は、古くから数多くの和歌や俳句にうたわれています。
往時は、晴れていれば関東平野から美しい筑波山を望むことができたのでしょう。
春立や見古したれど筑波山
『七番日記』
一茶は下総から守谷、そして房総方面に、よく旅をしています。
「筑波山」は、いつも見ている、もう見古しているように思うが・・、春が来れば、やっぱり美しい山だと詠んでいます。
今回は、車での旅となりましたが、次は往時の風景を忍ばせてくれる筑波山神社の参詣道「つくば道」を歩いてみたいと思います。
* * *
常磐道から鉾田の工房に向かう時は、いつも筑波山を眺めて走ります。天候や季節によって筑波山は、いろいろな表情と色を見せてくれます。
ある時は田圃の畦道から、ある時は車中から眺めた筑波山を紹介します。
*
梅咲くや一日ごろのつくば山
『七番日記』
*
畠打の顔から暮るるつくば山
『化五六句記』
*
四五月やかすみ盛りのつくば山
『七番日記』
*
草餅を先吹にけり筑波東風
『七番日記』
*
よしきりや空の小隅のつくば山
『七番日記』
*
早乙女の尻につかへる筑波哉
『句稿消息』
*
夏の夜や枕にしたる筑波山
『遺稿』より
手前は霞ケ浦。
*
*