私の山茶盌

 山茶盌とは平安時代末から鎌倉時代にかけて、東海地方一帯で焼かれた無釉の盌で「白瓷系陶器」とも言われます。集落の山中の廃棄場所から大量に出土しており「山からでてくる茶盌」ということで「山茶盌」と呼んだようです。その用途は食膳具ではないかと言われており、様々な用途に使われたのではないでしょうか。
 
         貰ひ来る茶碗の中の金魚かな ( 内藤鳴雪 )

       (注)内藤鳴雪(1847-1926)は、幕末の伊予松山藩の武士。

 私の山茶盌は、いろいろな粘土の削り滓を集め、再生して轆轤成形しました。白い部分が多いのは白化粧土の塊です。
                   
                    15.0cm・5.7cm・4.5cm・250g
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 山茶盌は昭和の時代が見つけ出した茶盌ともいわれており、最近は夏茶盌に見立てて使われているようです。