ナチュラルヒストリー

 私の本棚の横には、孫が書いた「自然」という文字が掛かっています。

 この「自然」という言葉は、日常よく使われる言葉です。自然遺産、自然エネルギー、自然共生、自然災害、自然破壊、自然美など幅広い分野で使われています。

 この「自然」とは、抽象的な言葉のようですが、私には「生き物たちの暮らし」を意味する言葉だと思っています。

 先日、東京都町田市にある「町田市立国際版画美術館」で開催されている『自然という書物 15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート展に行って来ました。

 この美術館に訪れるのは始めてです。小田急線の町田駅より歩いて15分ほど。新緑の木々に囲まれた都会の喧騒から離れた静かな場所にありました。

 タイトルの「ナチュラルヒストリー」は、翻訳すると「自然史」ですが、この「史」は、歴史というよりか、自然界に存在するものを書きとどめておくという意味であり、博物学、博物誌・自然誌とも呼ばれています。

 「ナチュラルヒストリー」は、馴染みのない言葉ですが、動植物や鉱物、人間、更に人間が生み出した人工物など、自然界のあらゆる物を収集し分類し体系化をする学問です。

 展覧会の内容は、4つの章から構成され、15世紀から19世紀までの西洋のナチュラルヒストリーとアートのつながりに注目し、人間が表してきた自然の姿や形を紹介していました。

 並んだ分厚い大きな本には、動植物を繊細に記述・描写されています。

 同時に普及して来た活字と多色刷りの版画技法などで製本されています。

   

 一冊一冊の本の中に、未知なるものを明らかにしたいという研究者の飽くなき探求が見られます。「自然」は、人間に多くのことを教えてくれる書物であるとともに、教師でもあるように思いました。

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 日本でも江戸時代には、多くの博物書や博物図譜が生れ「江戸博物誌」が隆盛していました。

 薬学として中国から日本へ渡って来た「本草学」は、薬学として研究が深められましたが、動植物や自然現象にも関心が向けられ博物学的な学問へと広がって行きました。しかし動物学者で博物学史研究者の磯野直秀さんの『江戸博物誌を顧みる』参考書誌研究第61号・2004/10 によると

「西洋の博物学と日本の博物誌とは大きく違っていた・・西の世界がギリシャの昔からモノの「仕組み」と「体系」を追い続けてきたのに対して、東は「仕組み」や「体系」にまったく関心を示さなかった世界だった・・広く、浅く、近づきやすいのが江戸博物誌の特徴で・・いつも生活や文化を通して、人の視点から動植物を、自然をを眺めていた点だ」と書かれています。

 江戸博物誌は自然の描写と芸術的な美を重視する日本独自の博物学となりました。日本の「博物誌」は、私たちの身近な学問の世界であったようです。

 「誌」とは、書き記す、記録をとるという意味があります。「趣味の延長が博物誌」とも言われますが、物、人の数だけ、趣味の数だけ、そして生活の変化、心の事象まで記された博物誌が沢山発行されています。

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 私の本箱で、こんな博物誌を見つけました。今官一著『風流博物誌』1959/2/25・荒地出版刊 です。

 表紙は津軽の画家・棟方志功が描き、作家・今官一が紡ぐ風流譚。津軽弁が出てくるなど艶のある話は楽しめます。

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 散歩中に虫篭を持っている少年をよく見かけます。日本には昆虫少年が多いといわれのは、江戸時代の博物学が引き継がれているのだろうか。 

 手塚治虫さんは『ガラスの地球を救え』光文社知恵の森文庫刊 の中で「ぼくの中の自然が土壌となって、宇宙の彼方にも飛んで行く、あるいは小さな虫の中にも入り込んでいく想像力を育んでくれた」と、子供の頃に植え付けられた自然や生き物に触れたことが手塚マンガの原点となったと書いています。

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 「じっとして見よ見よ蝉の生れ様」

            一茶『七番日記』

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