先月、群馬県高崎市で、白いカラスが発見されたというニュースがありました。
この鬱陶しい梅雨の時期に、真っ白い鳥は一つの清涼剤となってくれそうです。
絵画のように見える新緑の中のコサギ。
黒須田川に飛来する真っ白い鳥は、コサギ、ダイサギがほとんどです。多くの人は、コサギ、ダイサギを見て、種名で呼ばないで「白鷺」と呼ぶのは、身近にいる鷺への愛称なのでしょうか。
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白鳥はかなしからずや
空の青海のあをにも
染まずただよふ
歌集『海の声』
若山喜志子選『若山牧水歌集』より
牧水の良く知られた歌です。白鳥と書いて「しらとり」と読みます。最初に出版された歌集には「はくちょう」とルビがありました。その後「しらとり」に変わりました。この方が白い鳥全般を言うことになり解釈の余地が残るように思います。この「しら鳥」は、カモメの類だろうと考えられています。
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先日、横須賀市長沢にある「若山牧水資料館」を訪ねました。資料館は「長岡半太郎記念館」の中にあります。この場所は長岡半太郎の別荘だったそうで、国道134号線の傍の見晴らしのよい高台にありました。
館内(資料館)は、こじんまりとしていますが、長岡の資料と一緒に、牧水の貴重な資料が展示されていました。
この書には「そら」と「海」の順番が、反対になっています。
書の傍には、このような文が添えられていました。
この順序の違いは諸説あるようです。この添えられた内容は、酒を愛する牧水の汪洋な生き方が伝わって来ました。
「牧水夫婦歌碑」は、以前は資料館の敷地内にあったそうですが、道路建設のために少し離れた北下浦海岸遊歩道に移設されました。
「牧水夫婦歌碑」は、昭和28年に建立されました。
歌碑の裏側には、妻喜志子の歌が彫られています。大正4年3月、妻の喜志子さんの病後療養のために、この北下浦に転居して来ていました。その時に詠んだ歌です。
うちけぶり鋸山浮び来と
今日のみちしほ
ふくらみ寄する
喜志子
天気が良ければ、この歌碑から房総半島や鋸山が見えるのですが、訪れた時は、曇り空で霞んでいて眺めることはできませんでした。
海上には「しら鳥」ではなく「トンビ」が、のんびりと旋回していました。
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牧水は43歳の若さで亡くなりました。旅を愛し自然を愛し酒を愛した歌人です。山歩きが楽しみで、多くの場所を訪ね歩き「山旅の記」「紀行」を書き残しています。その山旅での楽しみは、鳥の囀りを聴くことにあったようです。谷川温泉を訪れ時に・・
ちちいぴいぴいと
われの真うへに来て啼ける
落葉が枝の鳥よなほ啼け
歌集『くろ土』
この歌の後に、翡翠ではないかと思われる小鳥を詠んだ歌がありました。
水色の羽根を
ちいさくひろげたりと見れば
糞は落ちはなれたり
歌集『くろ土』
よく鳥を観察されていたようで、カワセミは餌もよく獲りますが、よく糞もします。黒須田川でも、カワセミがよく止まる木の付近には、白い糞が目立ち、カワセミの居場所を見つける手掛かりになっています。
大正14年発表した歌集『山桜の歌』では、伊豆の畑尾温泉に旅行した時に詠んだ歌に、翡翠の名が出て来ています。
澤につづく此処の小庭に
うつくしき翡翠が来て
柘榴にぞをる
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歌集では「小鳥」という表現が多いのですが、歌集『くろ土』以降には、具体的な鳥の名前が多く登場しています。
牧水は 随筆「酒と小鳥」の中で「山だとか野だとか木だとか、そう云う背景の中におかれた小鳥が好きなので、その場合場合によって、わたしの鳥に対する好悪はかわってくる」と・・特にどの鳥が好きということはなかったようです。
牧水の歌集の中に登場する小鳥たちは、ありふれた自然の景色の中で詠まれています。次のような歌は、黒須田川でカワセミを撮影している時、よく見る景色です。
この小鳥高くとまらず冬さびし
木々の根がたの枯枝に啼く
歌集『黒松』
私も鳥のいる景色は好きで、どんな背景の中にいるのだろうかと、気にしながら散歩をしています。
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3月上旬に黒須田川の橋の袂で、舞い遊ぶコサギたちです。
真白い大きな羽根、その美しく優雅な動き・・
こんな水鳥のいる景色を、都会の中の川で出会えるのは楽しいです。
楽しげの鳥のさまかも羽根に腹に
白々と冬日あびてあそべる
牧水歌集『黒松』より
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