カワセミ春夏秋冬(9)

美しきものは、常久に、

可惜身なりや、翡翠

かいまみ許さぬ花のすがた、

照斑あをき冠毛や、

瑠璃色背にながれて、

さながら水曲の水脈にまがひ、

はた長嘴の爪紅は、

零露を綴るにふさひたりな。

 『薄田泣菫詩集』新潮社文庫より

 薄田泣菫(1877-1945)は、明治後期の浪漫派詩人で、古語や雅語を駆使し象徴的な詩風の新体詩を作った詩人です。

 この詩は、1905年に発表した『二十五絃』の中の「翡翠の賦」の一部です。薄田泣菫は、これまでになかった詩形や表現を見つけようと古語を用いて表現しています。

 この古語の使用について、薄田泣菫「私の古語癖が読者をくるしめたように承っています・・なるべくなら平易な、耳近い言葉で詩を作りたいと思っていましたが・・」と「詩集の後に」(明治文学全第第58巻)という文章の中で書いています。

 古語による表現は、音の流れや言葉のリズムなど、美しいと感じるのですが、私は基本文法などの基礎的な能力がないので、誤読していることが多いように思います。

 この本は、昭和17年に発表した『人と鳥蟲』(桜井書店・昭和18年4月刊)です。詩集ではなく随筆集です。

 薄田泣菫は動植物の本を、よく買って読んでいたそうです。「雑誌『野鳥』や、中西悟堂の本は、いつも手元に置いていた」と、薄田桂さん(長男)が「父・泣菫のこと」の中で語っています。

 『人と鳥蟲』は40篇の随筆で構成され、その中に「川蝉」という題があります。

翡翠の賦」とは異なり、内面まで洞察する鋭い観察力で生態や習性を捉えています。

「・・瑠璃色の上着に焦茶の胸あて、それに木鋏のような大きな嘴をもった川蝉がいました。」「鋭い眼つきをしてじっと池のおもてを見つめています・・池の心いった方が・・川蝉は池の底にかくれている小魚の欲望から遊戯まで、ひと目ですっかり知りぬいていますから。」そして「川蝉は神秘思想家で、また隠者であります。」と言っています。

 川蝉の生態と習性には、人知では計ることのできない神秘な雰囲気を帯びたさまがあるのでしょう。

 人は神秘的な魅力を秘めた鳥が自由に空に羽ばたくことに憧れて来ました。その鳥たちを注意深く観察し知ることは、自然や自らを見つめるきっかけを与えてくれるように思います。

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 黒須田川の水面を、じっと眺めているカワセミ・・隠者の雰囲気が?!

 突然!静寂を打ち破る水の音が・・

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