路傍の石仏

 鬱陶しい梅雨の季節が始まります。

 今、黒須田川は、卯の花か満開です。

 「卯の花」と言えば、唱歌『夏が来ぬ』を思い出します。「卯の花」は、初夏のシンボルとして詩歌にも詠まれ、親しまれて来た花です。

 卯の花の匂う垣根に・・

 私の住んでいる周辺で、垣根に卯の花が植えられている家は、ほとんど見られません。歌の中だけの世界になってしまったようです。

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 卯の花や垣のこちらの俄道

        一茶『文政句帖』

 黒須田川の「卯の花」は、「権現橋」から「黒須田橋」「豊隆橋」にかけて、たくさん自生しています。

 卯の花は「ウツギ(空木)」の花の別称です。ウツギは耐寒、耐暑に強い花木です。幹(茎)が中空になっているのでウツギと名付けられました。

 コンクリート壁の隙間から這い出るように生えています。どんな悪い環境でも生きる力強さには驚きます。

 散歩もマスクをしているので・・花の香りが伝わりません。

 唱歌の中の「匂う」は、香りというより鮮やかで、輝くように美しく見えることを言っているのでしょう。

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 「黒須田橋」と「豊隆橋」とは、数メートルほどしか離れていません。道路も複雑な六叉路になっています。昔の黒須田村の生活道路が、そのまま残っているようです。

 この2つの橋の間に桜の古木が2本あります。その木に挟まれように一体の石仏があります。

 道端にあった石仏などは、道路改修や宅地の開発整理などで、近くのお寺か神社に移設されて、最近は見かけることは少なくなってきています。この場所には、まだ残されていたのです。

 石に刻まれているのは「青面金剛(しょうめんこんごう)」ではないだろうか。

青面金剛像」とは、伝尸(疫病や伝染病)などの病気を払い除く神様です。民間信仰のである庚申信仰の本尊として知られています。その造形は、腕が4本または6本、手には武器を持ち、脇に童子を従え、邪鬼をを踏みつけ、足元には三猿と鶏が刻まれているのが一般的です。青面金剛の種類は多種多様で、持ち物も千差万別のようです。

『野の仏』東京創元社の著者である若杉慧さんは「青面金剛像」を・・

「見る人によっては、これは一つの童画曼荼羅とも見るであろう。一つの石に、日天,月天、法輪、矛、弓矢、赤子、鶏、髑髏、鬼、猿などを刻みつけて一つの世界を構成することは、浪漫精神なくして出来ぬ芸当である」と表現しています。 

 顔は閉口の忿怒相らしく見えますが、風化が激しく「童画曼荼羅」は見ることが出来ません。

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 桜の花が咲く頃は、花びらに包まれた華やかな景色となります。

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「豊隆橋」から西の方向の坂道を数百メートルほど歩くと・・

 小さな祠にお地蔵様がありました。昔の村と村の境界線の名残りでしょうか。

 自動車が一台やっと通れる細い道を進むと、道端に石碑がありました。

 「馬頭観音」と刻まれていました。

馬頭観音」は、今でも路傍でよく見かけます。身近な馬の存在と信仰がマッチして、馬の守護神として昔から広く信仰されて来ました。

 更に細い道を大きな欅と杉の木に沿って上って行くと、お馴染みの「お地蔵さん」に出遭いました。

 顔は原型を留めていませんが、コンクリートで丁寧に修復されています。

 痛々しい感じがしますが、なぜか懐かしい故郷を思い出させてくれます。

 自動車道路から一歩入った生活道に、人々と深い関わりがあった地域の守り神や道しるべなどの石仏が、この地区には残っています。

 昔、石仏は生きる人々の素朴な願いと心のよりどころであったのでしょう。今も人々の生活を見守り、静かに佇んでいる姿には心が癒されます。

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 雀の子地蔵の袖にかくれけり

         一茶『七番日記』

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 7年ほど前に制作した「古伊賀の花生」の写しです。

 高さ:21.5cm 

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