4月から5月にかけては、生き物たちが活発に動く季節です。
3年ぶりに行動制限が解除され、ゴールデンウイークには、多くの人や家族が郷里へ帰るのではないでしょうか。
黒須田川に飛来していた「ツグミ」と「ジョウビタキ」も、このゴーデンウィークが終わる頃には北に帰っています。
うつくしい鳥はだまって渡りけり
一茶『七番日記』
留鳥のハクセキレイは、いつものように長い尾羽を振りながら餌を漁っています。
こんな獲物を捕らえていました。オニヤンマかな?
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散歩の途中で昆虫を採集している少年に出会いました。
少年は、スマホを片手に持って、一方の手には何か大事そうに掴んでいました。その手の中には「ニホントカゲ」。欄干の下で見つけたそうです。
ニホントカゲは、少年の手の温もりが心地よいのか、逃げる気配もありません。
この頃の昆虫採集は、獲った昆虫をスマホで撮り、すぐに名前を調べたりするそうです。そういえば私の昆虫採集も、捕虫網で獲るのではなく、カメラで撮ります。そして帰宅後図鑑で調べています。これを昆虫採集と言えるのかどうか。
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先日、手塚治虫の『昆虫つれづれ草』小学館刊・2001年11月を読みました。
手塚治虫の旧制北野中学時代は戦時下でしたが、昆虫に魅せられて採集していました。そして昆虫に関する書物を多く書いています。この『昆虫つれづれ草』は、3年生の春休みに書いたエッセィ集です。
「歌と昆虫」という随筆の中で、一茶の句「やれ打つな蝿が手をする肢をする」について書いています。この句の「やれ打つな」は、命を助けて欲しいと拝んでいる仕草ではなく、蝿は綺麗好きなので体をこすって掃除をしている仕草だという。著者は「やれ打つな蝿の化粧の終わるまで」と詠むでしょうと・・虫の観察力の優れた手塚少年の姿が伺われます。
他に「昆虫の世界」「春の蝶類」「磯崎君の幾何ノートより」などが載せられています。「磯崎君の・・」は、物資の困難なため友達のノートを借りて余ったノートに採集道具を詳細に書かれています。
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最後のインタビュー・コーナーで、中学時代の同級生の林久男さんが、手塚治虫さんが「昆虫採集をやめたい」と言った、その理由を生前に聞けなかったそうです。
それは「生命の尊大さに気がついて生物を殺せなくなったのだと後年語っていましたが、その生命の尊大さに気がついたのは、戦争の中で多くの人が死んでいった状況を目の当たりにしたのも大きいでしょう・・」と林久男さんは話されています。
現在の世界で起きている状況を見ると、改めて命の尊さが求められているように思います。
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この日は、気温も上がりましたが、湿度が低く爽やかな風が吹いていたので、黒須田川を離れて、近くの王禅寺まで歩きました。
王禅寺は、大木に囲まれた風格のある古刹です。今はモミジの若葉が輝いていました。伝承によると757年の創建。境内には、国の登録記念物「禅寺丸柿」の原木があります。青い実を沢山付けていました。
ヒメジョオンの蜜を求めて飛び回っている1cmほどの小さな虫が気になりました。
名前が分からず写真に撮り調べたら、ハナアブの仲間の「ホソヒラタアブ」でした。飛翔の名手として知られており、ホバリングが得意です。
本堂の前の菖蒲の咲く池には、たくさんのオタマジャクシが元気に泳いでいました。
その上をオニヤンマが霞めて行きます。
オタマジャクシ、もう足が出始めています。
沖縄地方は梅雨に入りました。関東地方が梅雨に入る頃には、一人前のカエル(蛙)に成長しているでしょう。
初蛙梢の雫又落ちよ
一茶『文化句帖』
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