黒須田川の遊歩道の桜も散り始め、川面には花筏ができています。
遊歩道は、犬を連れた散歩者も増えましたが、新型コロナの影響でしょうか、中高年の男性の買い物袋を持った人も多く歩くようになりました。
今日は、いつもの散歩道から少しそれた細い道を歩きました。
まだ畑が残る中に大きな石の鳥居があり、小さな社がありました。
調べてみると「元石川御嶽社」でした。
創建の年代や御由緒は不明ですが、江戸時代後期には鎮座していたようです。
この周辺は「武蔵国石川牧」と言われ、馬が放牧されていました。その馬を大切にし敬うために付けられた名前の「驚神社(おどろきじんじゃ)」が、ここから少し離れた新石川(あざみ野駅から徒歩約8分)にあります。
この「元石川御嶽社」は、驚神社の兼務社ともなっています。
新興住宅地の中に、今も懐かしい面影を残しており、村の鎮守様として崇敬されてきたようです。
この社の参道近くの芝生の中に、紫色の小さな花が群生して咲いていました。
茎は直立せず、地にへばり付くように咲いており、気が付かずに踏みそうになりました。
この濃い紫色の美しい花は「キランソウ」でした。
名前の由来は、茎を地面に伸ばして群生する様から、織物の金襴にみたてて「金襴草」と名づけたとする説ほか諸説あるようです。可愛い花ですが、全体に縮れた粗い毛が多く生えています。原産は日本とされています。
セイヨウタンポポと一緒に・・
踏まれるのを避けるように、崩れた石垣のところにも・・
「紫色」は、伝統色の中で高貴で、気品、優美さを内包した格式の高い色とされています。そして色名も草木からとった名前が付けられています。
「菫色」「藤色」「菖蒲色」「紫苑色」「竜胆色」「杜若色」「紫紺」「楝色(おうちいろ)」など、また地域や色の濃淡などによっても、いろいろな名前があります。
極上の江戸紫をけしの花
一茶『文政句帖』
「江戸紫」は、江戸の粋を表現する色で、青みがかった紫をいいます。歌舞伎の『助六由縁江戸桜』で、助六が頭に締めている病鉢巻の色が江戸紫です。
その原料は「紫草」で、江戸時代の武蔵国(現在の東京都、埼玉の全域、川崎市と横浜市にまたがる地域) は、紫草の産地として知られていました。
現在、私の住んでいるところは、その地域に当たります。
「紫草」は、昔から紫染めの原料として用いられていました。茎の高さは50cmほどで、根は太く紫色しており、小さい白い花を咲かせます。古くから全国の山地で自生していましたが、今は環境省の絶滅危惧種となっています。
また薬用でも知られおり、漢名では「金瘡小草」と言います。金瘡とは刀傷のことで、キランソウの葉を潰して傷口に塗ると効能があるといわれています。
そして草全体がロゼット状に地面に這って、円盤状の形に見えることから、別名「地獄の釜の蓋」とも呼ばれています。その由来は「病気を治して地獄に蓋をする」という意味だそうです。
この名前を聞くと踏んだり、無視してキランソウの上を歩くのを躊躇します。
(注)「ロゼット」については<2019/2/4>に記す。
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焼き物で紫色を出すには、釉薬の中に金属元素(銅、マンガン、コバルトなど)を使います。また登り窯などの窯の内で、土と釉薬の偶然の変化によって淡い紫色になる場合があります。
有名なのは「紫匂い」という銘のある紫志野茶碗です。昭和54年、加藤唐九郎が制作し、立原正秋氏によって「紫匂い」と名づけられました。
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辰砂茶碗
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