1月15日は「小正月」です。
この日の前後に「どんど焼き」が、各地で行われているようです。
私の住んでいる地区の自治会でも、13日、恒例のどんど焼きが、公園の野球場で行われました。
勢いよく立ち昇る炎に乗せて、年神様をお送りしました。
傍では 、主婦たちが炭火で餅を焼き、皆んなに配られ無病息災を願いました。
2日後の15日には、初詣に行った琴平神社の「どんど焼き」がありました。
神主さんの祝詞の後、神聖な火で厳かに行われました
火の勢いが弱くなると、 神社で配られてた餅、自宅から持ってきたお餅などを、竹竿の先に取り付けて焼き始めました。
この餅花は、養蚕の盛んな場所では「繭玉」ともいわれます。
先日、横浜市神奈川区の里山の野仏を訪ねた時、羽沢町の第三京浜道路の高架下の木祠に、繭の形をした石が奉納されていました。
双体道祖神の左右に、かなり大きな石の繭があり、 火で焼かれたのでしょうか、一部が黒くなっていました。
蚕の生産地の長野県や山梨県では、どんど焼きを「道祖神祭り」と呼ぶそうです。
昔、羽沢町周辺で繭を生産していたかどうか分かりませんが、近くに「絹の道」があり、その影響によって道祖神に石の繭が祀られたのでしょうか。
それとも養蚕とは関係なく、蚕は小さく生んで大きく育つことから安産と子育てを願って、それを石に込めて信仰し道祖神に祀ったのでしょうか。
養蚕業の人たちには、蚕の守護神として信仰する「繭石」があったそうです。この石は八十八夜が近くなると石の色が緑色に変化し、その色を見て養蚕業の人は、孵化させる準備をしたそうです。
石の色が変わるというのは、石についた苔が変化することのようです。
昔、養蚕業が盛んであった、町田市相原には養蚕信仰と結びついたという「蚕種石(こだねいし)」という名の地名が残っています。
現在は「どんど焼き」の意味合いも変わりつつあるようですが、地域の習慣や風習によって様々な信仰の姿がまだ残っています。
「 道祖神」は 関東甲信越を中心に分布する路傍の石神で、今も日々の暮らしの中に、その信仰の篤さが伺われます。
この羽沢町の木祠の前には、地元の小学生が書いたどんど焼きへの願いが書かれていました。
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木に餅の花さく時を見てし哉
一茶 『七番日記』
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丸形小鉢
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