今回は、千葉県我孫子市にある一茶の句碑を訪ねました。
一茶の『文化句帖』によると、文化3年(1806年)2月、布川に逗留した後、江戸へ帰る途中に「子の神大黒天(延寿院)」を参詣したことが書かれています。
その「子の神大黒天」に、JR我孫子駅から歩き20分ほどで着きました。
高台にあり、当時は手賀沼の景色が見渡せたのでしょう。
「大黒堂」には、たくさんの大黒天が祀られていました。
一茶の句帖には「我孫彦子権限詣 神木大柊」と書かれています。
この柊は、伝説によると源頼朝が脚気にかかった時、白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれる霊木のことです。
それから「子の神大黒天」は足腰の病に効験があるという信仰が広まり、多くの参詣者で賑わったと言われています。
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この境内と隣接して我孫子市内を代表する「子の神古墳群」の案内板がありました。
県道8号線を渡り、急な坂を上ったところに我孫子市役所があります。
玄関の傍の小さい庭の植木の中に一茶の句碑がありました。
名月や江戸のやつらが何知って
『出典不明』
この句は、出典が不明、そして建立された時期も不明です。
一茶の句なのか?
出典が不明なのに・・・どうして句碑が建てられたのでしょうか。
『一茶の抵抗』小嶋孝三郎著(『論究日本文学』第6号・1957年3月刊)によると
『江戸人の非都会的なものに対する極端な軽蔑を、長年受け続けていた一茶の、地方人的意識による烈しい反発とみられる』と書かれています。
当時、江戸の人は、江戸に出稼ぎに来た信州人を「ムクドリ」と呼んでおり、一茶は大変嫌な思いをし、それへの抵抗もあったのだろうか。
我孫子市民は、地方文化の再評価と情報発信を高めるために、この句を選んだのではないかと思われます。
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市役所から県道8号に戻り、国道356号沿いにある「最勝院」に向かいました。
『七番日記』 の文化7年3月29日に、最勝院のことを書いています。
「 高之山村に、
四国廿七番の観音うつして
参詣有。是を新四国道場といふ。
庭に大桜あり。」
最勝院の山門
本堂と大師堂(右)
「 庭に大桜あり」と書かれており、この大樹の陰で旅の疲れを癒したのでしょう。その大桜は枯れ、今は綺麗に整地されており、その面影はありませんでした。
当時はこんな風景だったのでしょう。
御仏もこち向給ふ桜哉 『文化句帖』
山桜花の主や石仏 『七番日記』
石仏風よけにして桜哉 『八番日記』
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その後,JR天王台駅に向かいました。
我孫子には、多くの有名な文学者が住んだことがあり、また陶芸作家のバーナード・リーチの碑もあります。
再度、訪れてゆっくりと散策してみたいと思います。
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