句碑散歩(13)

 鬱陶しい梅雨空の中、茨城県取手市の大鹿山長禅寺に行って来ました。

 JR取手駅東口を出て少し歩くと、駅前とは思えない木々が茂り、深山幽谷の趣のある高台に、臨済宗の古刹「長禅寺」がありました。

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 南側の急な石段を登り、山門(鐘楼)をくぐると正面に「三世堂」茨城県指定文化財が見えます。

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 外観は2層ですが、内部は3層となっています。その内部は「さざえ堂」形式になっていて登りと下りの階段が交差しておらず一方通行で参拝ができます。

 この「さざえ堂」は、全国でも5棟しか残っていないそうで大変に貴重な建物です。年に一度だけしか内部の参拝は出来ないそうで、今回は参拝できませんでした。

 この寺は「平将門」が創建したと言われています。

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 山門(鐘楼)

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 訪れた時、境内の紫陽花は見ごろを過ぎていました。黒くなった蝋梅の実の鈴なりには驚きました。

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 また大鹿山長禅寺は、茨城百景の一つに選ばれています。

 『利根川図誌』(赤松宗旦著・岩波文庫によると『利根川に臨みて、西南の空遥かに富士ノ峰の見さけられたる、えも言い難し。』と記されています。

 今は木々が覆い、高い建物などにより、境内からその景色は望めません。

 『この里は昔大鹿左衛門某が住みし砦の跡なり』とも記されており、「取手」の名の由来となっています。

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 「三世堂」の左側にある桜の木の下に一茶の句碑がありました。

 一茶は『七番日記』(文化7年4月4日)の中で、この句を詠んでいますが、旅の途中、長禅寺に立ち寄ったのでしょう。

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 下総の四国廻や閑古鳥

          一茶 『七番日記』

(注)「四国廻り」とは、四国八十八カ所の札所を下総各地の寺に移し、これを新四国道場と呼んでいました。長禅寺は、発願(1番)と結願(88番)の寺です。

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 長禅寺から歩いて5分ほどのところに「旧取手宿本陣染野家住宅」茨城県指定有形文化財取手市指定史跡)があります。

 寛政7年に建てられ、水戸街道に残っている本陣建築では、最古で最大の建物です。

 「取手宿」は、水戸街道千住宿から5つ目の宿場町です。

 取手宿は、利根川の渡船場に隣接する重要な宿場町として発展し、宿場町だけでなく、利根川水運の拠点地、物資の集積地でもあり、いろいろなものが江戸に運ばれました。

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 主屋の入母屋造りの玄関

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 奥に見えるのが上段の間

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 土間の天井の梁組

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  右が新座敷

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 一茶の句の中にも、当時の街道の様子が詠まれています。

 夏の夜やいく原越る水戸肴

       一茶 『七番日記』

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 陶仏

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