樋口一葉の作品に『うもれ木』という小説があります。
『たけくらべ』『にごりえ』『大つもごり』ほどに知られていませんが、『うもれ木』は 明治25年(1892年)樋口一葉20歳の時、一流雑誌『都の花』95号に発表し出世作となりました。
「うもれ木」とは、長い年月、地層に埋もれた樹木が炭化し堅くなった木のことで、世間から見捨てられて顧みられない人の境遇に例えられています。
一葉の文章は、古文体で句点を打たず、読点で繋がれているので、読み難いので現代語訳(井辻朱実・訳)と併せながら原文を読みました。
物語は、薩摩焼に精進するが不遇の絵師入江籟三と、その兄を助ける妹のお蝶が、籟三の昔の職人仲間,篠原辰雄と出会い、籟三は海外の博覧会への制作援助。お蝶は辰雄を慕うようになりますが、しかし辰雄の寄付金の搾取に利用され、兄妹は騙されたことを知り破滅に至ります。
『うもれ木』は、芸術境と俗世界との葛藤を抉り出した芸術小説(?)ではないかと思います。
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陶工・入江籟三は、一葉の次兄・樋口虎之助がモデルになっています。
樋口虎之助(1866-1925)(号は奇山)は15歳の時、薩摩焼絵付師の成瀬誠志に弟子入りし、6年の修業を終えて独立しました。
一葉は、この虎之助から焼き物についてのヒントを貰ったりしており、陶画技法など詳しく書かれています。また当時の焼き物に関する本(『陶器小志』『陶器商便覧』)なども参考にしていたようです。
そして一葉は虎之助が制作した薩摩焼を愛用していました。
先日、その作品を観るために、東京都台東区にある『一葉記念館』に行ってきました。
「一葉記念館」は、一葉が新五千札の肖像に採用されたのを記念に、平成18年(2006年)モダンな建物にリニューアルされました。
展示されていた作品は、小品ですが繊細な筆使いで彩色豊かな薩摩七宝です。
一葉が愛用した薩摩焼七宝紅入れ
薩摩焼七宝金襴の一輪挿し
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物語の最後・・・
籟三は完成した誇れるほどの満足のいく花瓶を前に、熱涙を払いもせず睨み付け、美しい陶画に見入ります。いつしか、その美しさに酔いしれ、画の中に入り、この花瓶とともに消えたいと、一対の花瓶を抱きしめて「いざ共に行かん」と叫び、花瓶を庭石に投げ捨てます。
砕けるひびきに、虚しい笑いのひびきが重なり、狂気が漂います。
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けさ程やこそりとおちてある一葉
一茶 『七番日記』
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薩摩焼は、文禄慶長の役で島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工たちによって興されました。薩摩焼が世界に広まったのは、慶応3年(1867年)のパリ博覧会で、苗代川の朝鮮陶工の朴正官の制作した錦手大花瓶が、特に賞讃されています。(朴正官の名前は『うもれ木』の中でも紹介されています)
明治6年(1873年)日本の公式初参加のウィーン万国博覧会では、12代沈壽官の大花瓶が受賞するなど「SATSUMA」の名が世界に広がりました。
司馬遼太郎さんの小説『故郷忘じがたく候』のモデルとなった14代沈壽官さんが、2019年6月16日に亡くなられました。
この「薩摩焼黒釉瓢箪花瓶」は、2008年6月に沈壽官窯を訪れた時に購入しました。
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