先日、『神奈川区いまむかしガイドの会』主催の歴史散歩で「保土ヶ谷道」を歩いて来ました。
「保土ヶ谷道」は、横浜市西区にある『温故知新のみち』の1つです。
「温故知新のみち」は、歴史ある横浜市西区の魅力を再発見できる散策ルートとして、区内を通る3つの古道(旧東海道・横浜道・保土ヶ谷道)が整備されました。
3つの古道は、案内版が色分けされており、保土ヶ谷道は、緑色で飛び石サインが道路に埋め込まれています。
この保土ヶ谷道は、開港前の東海道から横浜村への唯一の陸路で、横浜の発展に欠かせない道でした。
相鉄線の王子町駅からスタートし、藤棚の商店街を通り、JR桜木町駅まで約5kmを歩きました。
歩いた道は、華やかな道ではありませんが、随所に横浜の発展の歴史があり、高台の眺望あり、坂も多くあるなど起伏に富んだ道でした。
民家の狭い場所に佇む「甘酒地蔵」。
昔、この久保町では虫歯、お産、無尽の時などに祈れば、ご利益があったようで、お礼に甘酒を供えたと言われています。
合流する「横浜道(青色)」までは、緑のマークが道案内をしてくれます。
「横浜能楽堂」の隣りは「掃部山公園」です。満開の桜が疲れを癒してくれました。
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「くらやみ坂」から横浜能楽堂に向かう西戸部町字池の坂付近には、以前、笹が群生していました。
1912年(明治45年)、当時、県立横浜第一中学校の教師であった松野重太郎が、その笹を発見し、新種であることが分かり、ヨコハマという名をつけた唯一の植物学名「よこはまだけ」(和名)と名付けられました。
松野重太郎は、独学で植物を研究し、その後「横浜植物学会」を結成しました。
都筑区川和町の松野重太郎の自宅跡に記念碑があるというので訪ねました。
記念碑は民家の敷地内にありました。
「横浜植物会」が建てた記念碑です。
碑には『・・近時土地開発その他に因り、此の竹の滅失するを虞れ茲に移植し保存する事とした 1972年 横浜植物会』と記されています。
昭和47年、「よこはまだけ」は、松野が晩年過ごした、この川和町に移植されました。
「よこはまだけ」の特徴は、葉の質は厚く硬く、メダケのように垂れてなく、アズマザサより葉が鋭くとがり、メダケとアズマザサの中間種です。
「よこはまだけ」は、笹の仲間です。
大きさは、竹の方が大きく育ちます。
茎の節に鞘が残るのが笹です。成長後の枝は、竹は2本、笹は5~6本出ます。
分かり難いですが、葉っぱの模様(葉脈)は、竹が格子状、笹は平行です。
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笹の子も竹の替りに出たりけり
一茶 (『文政句帖』)
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焼締瓢形花入 高さ:23.5cm
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