句碑散歩(20)

 久し振りの句碑散歩です。今回の句碑散歩は、息子夫婦と孫(9ケ月)との房総旅行にあわせて一茶の句碑を訪ねました。 

 千葉県には「一茶の句碑」が15基あります。今回、訪ねたい句碑は、木更津市にある「東岸寺」と鋸南町の鋸山にある「日本寺」です。

 訪ねた日は、強風が吹き荒れ、雨雲が覆う寒い日でした。途中の東京湾アクアラインの「海ほたる」から見える風景は、一面が灰色の世界でした。

 今は東京湾に橋が架かり、短時間で房総半島に行けます。江戸時代には、小廻しの廻船(木更津船)で渡るので時間がかかりました。しかしこの廻船は、江戸と木更津(上総国)を往来して荷物や乗客を輸送する重要な交通手段でした。初代歌川広重の浮世絵(不二三十六景上総木更津海上に、当時の様子が描かれています。

 高速道路の袖ヶ浦ICを下車して、国道16号から房総往還入り、JR木更津駅を越えると緑色の大きな屋根の「選擇寺」が見えました。

 この「選擇寺」に一茶は、度々宿泊することもありました。

 道路を挟んで戸隠神社の隣に「東岸寺」がありました。周りには高い建物がなく広々とした場所にありました。

 この寺は光明山と号し、応永8年(1401年)に創建された浄土宗のお寺です。

 境内では、白い清楚な花モクレンの蕾が綻びはじめ、寒風の中で春を告げているようです。 

 一茶の句碑は、参道の案内板の傍にありました。平成6年に建てられた新しい句碑です。

 一茶は上総・安房俳諧行脚で、木更津には陸路と東京湾からと10回以上訪れています。文化六年三月六日には、この寺の大藤の下で、俳諧仲間と「藤勧進」の句会を開きました。その中の一茶の句が・・

  藤棚やうしろ明りの草の花

             『文化句帖』

 裏側には「文化六年三月六日 東岸寺藤勧進 小林一茶四十七歳」と書かれています。

 今、東岸寺には藤棚はありませんが、隣の木更津第一小学校の校庭の藤棚で、今も花を咲かせています。

 天気が良ければ、もう一つの鋸南町の日本寺の句碑を訪ねる予定でしたが、悪天候のために中止をして、宿に向かいました。

 途中、海から吹き上げる猛烈な雨風の中で飛べずに、岩場で立ち止まっている鳥たちに出会いました。首を長く延ばしているのは「アオサギ」かな・・

 鷲か鷹が判別できませんが・・体調が大きいので鷲かな・・

クロサギ」かな・・波をかぶるような海岸の岩礁地が好きな鳥です。

 また道路わきの木々では、疾風に逆らって雀がホバリングしているのを始めて見ました。

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 翌日も強風は止まず、海岸は大波が次々と打ち寄せ白波が立っていました。この日は、孫と一緒に「鴨川シーワールド」を訪れて、海や川の生き物たちとの出会いを楽しみました。このシーワールドには、自然環境を再現した展示を通して800種11,000点の川や海の生き物たちに出会うことができます。

 「水クラゲ」のゆらゆらとした動き・・ゆったりとしたリズムの流れの中で生きている。その浮遊感・・母の羊水にいたことを思い出しているのだろうか。

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 一茶は子供への思いや様子などを詠んだ句が沢山あります。俳諧俳文集『おらが春』の中では、よく知られている「這え笑え二つになるぞ今朝からは」があります。我が子の成長を願う気持ちが溢れています。文政2年正月に詠んだ句で、昔は今と違い生れた年が1歳で、次の年になると2歳と数えました。また念願の長男が誕生した時には、元気で逞しく育って欲しいと、こんな句を詠んでいます。

 「はつ袷にくまれ盛にはやくなれ」 

             『七番日記』

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陶房の風景(15)

 2月5日、午後から降りだした雪は、私の住む地域で8cmほど積もりました。都心の高速道路は早めに閉鎖されました。そのため予定していた工房行を1週間先に延ばしました。

 1週間後は、2月とは思えない暖かさになりました。工房に入る細い小径に、突然「コジュケイ」が飛び出して来ました。

 いつも準備しているデジカメで・・コジュケイは、それほど驚いた様子もなく、私を見つめるように枯草の茂みに隠れてしまいました。

 庭の早咲の白梅が満開でした。

 いつもは3月初旬に咲き出す紅梅も、この暖かさで蕾が、もう膨らんでいました。

 花が散り終えたサザンカの垣根の中で・・

 大きな嘴をした「シメ」のようです。水を飲みに来たのでしょう。

 続いて来たのが「ジョウビタキ」・・工房周辺を縄張りにしています。冬は水溜まりが少なく、鳥たちにとって、庭の朝鮮唐津の花入れの水飲み場は役になっています。

 欅には・・「コゲラ」のようです。

 今年の冬の異常な暖かさには、囀りが華やかに聞こえるように思います。しかし庭の前の陸田は休耕地となり、落ち穂を求めてやって来る雀の鳴き声がほとんど聞こえないのは寂しいです。

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 朝方は少し冷え込みます。

 朝陽が当たらない日陰では、飛ばされないで残ったタンポポの綿毛に、溶け始めた霜が水玉のように輝いています。

 庭から100mほど離れた雑木林の傍で、ケーンケーンと甲高い声で鳴く雉。この声で起こされます。

 野々雉起給へとや雉の鳴

        一茶『七番日記』

 いつも番でいるのですが、雌の姿は見えません。

 雉子は、春の季語です。春は雄が「ケーンケーン」と妻を恋う鳴き声を放ちます。

 山の雉あれでも妻をよぶ声か

         一茶『七番日記』

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 書家・榊莫山(1926-2010)『書百話』ハルキ文庫・1997年12月刊 の中に「イロハの壷」というエッセイがあります。

 莫山は、陶器が好きで庭に窯を造る夢がありました。しかし大病を患い、その夢を捨てたそうです。そして信楽の窯元で焼いてもらったのが、この丸い壷です。この壷には竹のヘラを使って、カタカナでイロハニホヘト・・の文字がひっかいてあります。写真から字は、よく分かりませんが、機会があれば、実物を見たいと思います。

「土くさい肌と匂いのほのめくやつに惚れやすい、そして痩せたのよりもふっくらしたのが好きである」と陶器への愛執が書かれています。

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 私の作品は、温もりのある土味が表現できる登り窯で焼いたものが多いです。

 その中で一番大きな丸い壷(高さ:25.6cm・口径:11.5cm)です。

  

 土が炎の洗礼を受けて、再び蘇る土の景色は・・文字のようにも見えます。

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雪まろげ

 昨日の午後から降りだした雨は、霙となり、夕方には雪に変わりました。夜のはじめ頃には、雪が降る中で雷鳴が轟ました。「雷起こし」といって珍しい気象現象だそうです。私の住んでいる地域には、6~7cmほど積もりました。

 今朝は雪も止みましたが、冷たい雨がまだ降っていました。いつもの時間より早めに散歩に出かけました。滑らないように用心して雪道に出ると、突然、垣根の茂みから,メジロが飛び出して来て驚きました。雪を被った山茶花の蜜を吸って居たのでしょうか。

 その下の雪が積っていない枯草を突ついていたツグミが、慌てて逃げて行きました。

 遊歩道は、雪が解けてベチャベチャで、滑るより水溜まりの中を歩くようです。

 所々にカラスの足跡が・・餌を探していたのでしょう。

 雪解けによる水嵩は、増えていないようです。いつも元気に餌を漁っているのはカルガモ

 キセキレイは、少し雪に戸惑っているみたい。

 カルガモの上を、カワセミジョウビタキイソシギが、餌場を探して飛んでいきます。

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 遊歩道の傍の公園の桜の枝には、モズが・・

 その木の下には・・昨日、子供たちが、はしゃぎながら作った雪だるまが、一人ぼっちで淋しく立っていました。

 「雪だるま」が誕生した起源は、明らかではありませんが、江戸時代の後期頃には、すでにあったとされています。江戸時代の浮世絵師・歌川広景の『江戸名所道戯尽 廿二御蔵前の雪』(1859年作)には、雪だるまが描かれています。

 「雪だるま」のルーツは、雪を転がし丸めて雪玉を作る遊びから来ているそうです。この遊びを「雪まろげ雪丸げ)」と呼ばれるそうです。

 今日、散歩で見つけた「雪まろげ」は・・

 手袋の指破れたり雪まろげ

             子規

 角ばった雪だるまの上には、四体の人形、その下に一体の人形が乗っています。家族を表現しているのでしょうか。

 愛らしく両手の迹の残る雪

          一茶『八番日記』

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 子だるまの頭のリボンが可愛いですね。

 はつ降りや雪も仏につくらるる

           一茶『自筆本』

 少し頭が大きすぎたかな・・支えてくれる場所で良かったね。

 木の根元に居るのは???

 白い犬のように見えましたが、雪が自然に溶けて出来た姿でした。

 雪仏犬と子どもがお好きかや

          一茶『七番日記』

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本箱(24)

 本箱に新しい本が増えました。昨年5月に刊行された小手鞠るいさんの『鳥』2023年5月・小学館刊 という本です。私は小手鞠るいさんの本を読むのは始めてです。

 この本は、小手鞠るいさんが描く「世界を広げる3部作」のうちの一つです。

 アメリカと日本に住む同年代の少女が、お互いの近況状況をメールを通して、自然、鳥、命などについて考え、前向きに自由な考えで成長していく様子が描かれています。 人間以外の世界を、どれだけ身近に感じて大事にするか。地球環境を考えるきっかけになる本です。

 またアメリカンロビン(日本ではコマツグミ)、鳥の鳴き声など、日常の自然が描かれており、鳥フアンには愉しめます。

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 この本と併せて小手鞠るいさんの『サスティナブル・ビーチ』カシワイ(絵)さ・え・ら書房・2021年4月刊 を読みました。

 夏休みに母とハワイ旅行に行った小6の主人公が貴重な経験をします。キラキラ光る美しいビーチがマイクロプラスチックで汚染されている現実を知ります。世界の海の状況から地球環境について考え、自分は何が出来るのか。森と川と海は、ひとつに繋がっています。私たちの身近な川を汚さないことが、地球環境を、そして生き物たちを守ることに繋がります。まず身近な川原の清掃から行動を起こす物語です。

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 私の身近な川といえば、いつも散歩している黒須田川です。改めて川の現在の姿を眺めて見ました。

 黒須田川の水は、多摩丘陵谷戸からの湧水です。人家の中を流れている川にしては、石が多く配置されています。自然な水の流れを考慮されたのでしょう。石と石は水の流れに淀みを作り、そこに小さな生き物や小魚が生息します。それを求めて鳥たちが飛来します。また石や堰は、水の流れに緩急がつき、せせらぎが生れます。昔、黒須田川は曲がりくねっていて、水が石にぶつかった音が、歌っているように聞こえたということから「歌川」と呼ばれていました。古い地図には「歌川」の地名もあります。その名前は、今も橋の名前に残っています。

 石が多いためにビニールや布などが絡まったり、張り付いたりと流れが堰止めたりして景観を損ねています。

 川に飛来する鳥たちの周りには・・カワセミの傍には・・

 夏には草や木の葉が覆っているので目立ちませんが、冬にはよく目立ちます。

 プラスチックやビニール袋に囲まれながらも、都会の川に生きるカワセミは、環境の変化にも動じないで生きています。カワセミは「都市鳥」になってしまったのだろうか。

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 いつもはゴミを写さないで鳥たちを紹介して来ましたが、今回は、黒須田川のゴミと一緒に鳥たちを紹介します。

 アオサギの傍には・・

 ツグミの傍には・・

 コサギの傍には・・

 カルガモの傍には・・

 ハクセキレイの傍には・・

 シジュウカラの傍には・・

 ジョウビタキ(メス)の傍には・・

 ジョウビタキ(オス)の傍には・・

 キセキレイの傍には・・

 川の中の鯉の傍には・・

 空き缶は、目立つので回収しやすいですが、ポイ捨てのタバコの吸い殻は、水に溶けて、魚や様々な生き物の体内に入り食物連鎖に影響を与えます。

 マガモの傍に・・

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 立つ迹を頭巾ではくやたばこ芥

          一茶『文政句帖』

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 今年は梅の咲くのが早いようで・・

 でも今の川辺は草木が枯れ、色が乏しく淋しい景色になりますが、渡り鳥や水鳥たちがいることによって温もりを感じさせてくれます。

 餌を見つけたのでしょうか。タイミングよくカワセミが飛び込みました。

 黒須田川には、年間を通して10種類の鳥たちが飛来します。その鳥たちの棲息する川を汚さない。それが海を・・地球環境を守ることに繋がります。

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  また小手鞠るいさんが翻訳された絵本『わたしたちの森』ジアナ・マリノ(作)、小出鞠るい(訳)ポプラ社・2021年10月刊 があります。

 今、世界のあちらこちらで山火事が起きています。山火事で森や林を棲家としている動物たちは、どうなるのだろうか。

 ある日、火の手が風に乗って大きな炎となり、森に棲む動物たちを襲いかかります。メス鹿が、言葉は少なく、その状況を語ります。逃げる動物たちをシルエット風のタッチで描かれた絵は、大自然のドキュメンタリーのような絵本です。

 地球環境の変化や気候の変動について考えるよい絵本です。

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福の神

 先日、「七福神巡り」に行って来ました。毎年参詣しており、今回で連続20回目になりました。

 今年は、江戸最初と言われる「元祖山手七福神です。

 江戸最初・山手七福神は、江戸城の裏鬼門守護のため、将軍の鷹狩りの際に参詣した「目黒の不動堂(瀧泉寺)」の参詣道筋に設置された江戸時代から続く、江戸最初の七福神巡りです。(案内パンフレットより)

 「覚林寺」から廻るのは「無病息災・長寿」祈願、「瀧泉寺」から廻るのが「商売繁盛」祈願だそうです。

 午前10時過ぎに、都営地下鉄白金台駅から「覚林寺」に向かって日吉坂を下りました。

【覚林寺】

 毘沙門天(清正公)

 目黒通りに戻り【瑞聖寺】へ向かう。

 布袋尊

 庫裏から眺めた大雄宝殿(国の重要文化財)江戸時代から残る仏教建築として貴重な寺院です。

 8分ほど歩くと【妙円寺】へ

 福禄寿尊寿老人尊(白金妙見)

 妙見堂内は撮影できませんでしたが、妙見大菩薩を中心に、寿老人と福禄寿が両脇に立っていました。堂には時代の雰囲気が残っています。

 境内には、紅梅が開花して、参詣者に微笑んでいるようです。

 首都高速道路をくぐり、目黒駅前を通って【大円寺】へ

 大黒天

 境内には、石像の七福神がありました。

 「太鼓橋」を渡って・・

【蟠龍寺】

 弁財天

 岩屋弁財天

 最後の【瀧泉寺】に向かう。

 不動尊境内の弁天池の脇にある三福堂。

 恵比寿神目黒不動

 六つのお寺は目黒通り沿いにあり、お寺とお寺の間も10分前後で歩けます。周りは高層ビル群に囲まれて、昔の風情は、ほとんど残っていませんが、幹線道路の傍にしては境内は閑静で、ゆっくりと参詣できました。

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 大黒も連に居るや夷講

        一茶『文政句帖』

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 七福神の発祥の地は日本で、室町時代末期頃から幸福を呼ぶ神様として庶民の間で信仰されて来ました。今も、お正月には、幸せを願い「七福神めぐり」をする人が沢山います。その「七福神の誕生」について知りたくなりました。

 「七福神」については、多くの書物が出版されています。その中で七福神の創作者』一色史彦著・三五館・2007年6月刊 という本を読みました。著者の一色史彦さんは、建築文化史家で全国七福神連合会顧問ですが、古寺社建築の専門家でもあります。

 「七福神を、誰が、いつ創り出したか」を。永年の研究から、七福神が生れて来た時代・文化の背景と禅僧一休(1394-1481)さんの漢詩や歌などから推論し七福神の誕生には「一休さん」が深く関わっていること」に確信したと書かれています。その解明には、分かりやすい文で、一休さん七福神の関係が書かれています。一方で文化財の保護についても、貴重な提言をされています。

 七福神の起源ついては、他にも説があるようです。

 絵本や童話などで、よく知られている頓智一休さん、数々の逸話もあり、七福神に関わっているのだと思うと、一休さんへの親しみがより深まるように思います。

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カワセミ春夏秋冬(16)

 新型コロナウィルス感染症も収束の方向にあるようです。今年は3年ぶりの制限のないお正月となりました。

 3日には、娘、息子夫婦と孫たちが、我が家に集まり賑やかなお正月となりました。ちょっと食べ過ぎて体重が増えたようです。

 4日が初散歩でした。1月とは思えない暖かさ、いつもの黒須田川の遊歩道を歩きながら、川面を見ると、川の中の石の上がキラリと光りました。

 日陰となっているので、よく分かりませんでしたが・・

 カワセミでした。今年、初めての出会いです。

 大きな獲物を誇らしげに掲げているように見えます。

 「オイカワ」のようです。

 このくらい大きいと飲み込むのに時間がかかりそうですが、空腹だったのでしょうか、思ったより早く食べてしまいました。

 食べた後、近くの石に飛び移ったのですが、お腹が重いのか、腹の魚が暴れるのか、飛ぶ様子もありません。嘴に鱗を付けたまま、じっとしていました。

 春の日や水さえあれば暮残り
         一茶『文化句帖』
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甲辰元旦

 

 あけまして

  おめでとうございます

 

  元旦や上々吉の浅黄空

        小林一茶『浅黄空』

 武州琴平神社、今年も多くの初詣の家族で賑わっていました。

 初詣の帰りに、早野聖地公園を訪ねました。

 この公園には、七つの池があります。この七つの池は、早野の湧水を溜め、田畑に利用する為に山間に作られました。その池の一つに「龍」の名が付いた「龍ケ谷池」があります。

 曲がった高木に囲まれ、そこから漏れる光が幻想的で、龍が現われそうな神秘的な景色です。

 散歩の途中で、この池に立ち寄りますが、カワセミに出会うのは珍しいです。この池で見るカワセミは、いつもの黒須田川で見ているカワセミとは思えない美しさを感じます。

 この池の周りの木々は、サギたちのコロニーともなっていたり、いろいろな鳥が集まって来ます。この日は「エナガ」が・・

 「メジロ」も・・

 「シジュウカラ」も・・

 「コゲラ」も・・

 有合の鳥も初声上にけり

       一茶『八番日記』

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